意識高男と俗物太郎、ときどき苦界生(いきる)が行く

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糸井重里さんにはすごい惹かれるのに、糸井重里さんのコンテンツには惹かれないのはなぜだろう?③ 学生ノリで楽しんじゃってる感との不和

俗物太郎です。

 

前回、僕がほぼ日手帳に惹かれない理由は値段の高さ(スタンダードなもので¥3,780)ではないと書いた。

 

では惹かれない理由は何か?

それは機能や性能にかかわるものではなく、コンテンツ自体が発するイメージのためだ。

批判を恐れずそのイメージを言葉にしてみると、

「なんか学生ノリで楽しんじゃってる感」だ。

 

穿った見方をしているとは思うが、どうもその浮ついた感じが、なんとなく性に合わないのだ。

 

ほぼ日手帳は、きっといろいろな試行錯誤や苦労を積み重ねて生み出されたすばらしいコンテンツだと思うのだが、いかんせんその、楽しんじゃってるオーラの圧に対し、防衛反応が先に来てしまう。

 

僕自身が他の事例で似たような感覚(楽しんじゃってる感)を受けたものとして、例えば下記のようなものがある。

 

・大学の学園祭

⇒いろんな出店があるが、店にいる学生が来場者よりテンションが高い場合は強く感じる。

 

・不倫騒動になる前のベッキー(有吉が「元気の押し売り」と言い得て妙なあだ名を付けていた)

⇒楽しんじゃってるオーラの圧を強く感じる(逆に今のベッキーからは当然のことながら圧は感じない)

 

フェイスブックリア充感溢れる近況(本人の笑顔写真付き)をアップする人のタイムライン

⇒上記のような人は、結構な頻度で近況をアップしていたりするため、フェイスブックを見るたびに楽しんじゃってる感が纏わりついてくる。

 

ちなみに、ほぼ日手帳以外で僕が惹かれない事例として挙げたコンテンツの

 

・言いまつがい

オトナ語の謎

 

からも同様の楽しんじゃっている感を感じる。

(ちなみに①でも書いたが、糸井重里さんと誰かの対談というコンテンツは除く)

 

まるで

「これ面白いじゃん?本にしてみよう。なぁそこの君、これ面白いだろ、な?」と先輩に笑顔で肩を組まれ、なんだか有無を言わせぬ圧を与えられているような感じを受けてしまうのだ。

 

僕の悪意を感じる人もいるかもしれないが、実際そう感じてしまうのだから仕方がない。

 

ただ、不思議なのは例えばAKB48などのアイドルの子が楽しんでいる姿をTVなどで見ても、楽しんじゃっている感は感じない。

 

それは何故だろう?

 

もしかすると、AKB48などのアイドルの場合は、それが仕事であり、TVで楽しんでいる様子を見ても、ある意味プロの仕事として徹している姿だと僕が見れているからかもしれない。

 

ただ、ほぼ日のコンテンツからは、どうもプロフェッショナル感よりも学生気分で浮ついている感の方を強く感じてしまうのだ。

(ほぼ日のスタッフの人は決してプロフェッショナルでないわけではない、ここは強く強調しておく)

 

もしかすると、ほぼ日は、あえてプロフェッショナル感を感じさせないようにして、学生ノリを前面に出し、親しみを持たせるというビジネス戦略をとっているのかもしれない。

 

であるとするならば、僕のような穿った見方をしてしまう人にとっては、その「あえての学生ノリ」に作為的なものを感じ取ってしまう。

 

以上で答えが出たような気がする。

なぜ僕がほぼ日のコンテンツに惹かれないかは下記の理由による。

 

なんか学生ノリで楽しんじゃってる感(浮ついた感)を感じるため

・上記がユーザーに親しみを持たせるための、ビジネス戦略として捉えられるため

 

何度も断っておくが、これはあくまで僕の妄言であり、僕がただ食わず嫌いなだけで、もしかすると、ほぼ日の商品を買い、そのコンテンツの中にひとたび身を投じてしまえば、製作者サイドと一緒に楽しめてしまうかもしれない(言葉は悪いが製作者サイドとのある種の共犯関係を構築してしまえれば、とも言える)。

 

ただ、今の時点で僕のスタンスは変わらない。

ほぼ日のファンは気を悪くするだろうが、これはただの僕の妄言であり、ほぼ日のコンテンツの品質を毀損せしめるものでは決してない。

あと、あえて繰り返し言うが、糸井重里さんは僕が憧れる人の中の一人だ。

 

 以上のような僕の考えはマジョリティにはならないだろうが、僕のように考えている人も一定数はいる気がする(というか少しくらいいてくれないと寂しい)。

もし、「俺もそう思っていたんだ」という人がいたら、一緒に酒を飲んだら盛りあがるかもしれない。

 

糸井重里さん、ほぼ日のファンのみなさん捻くれててごめんなさい。