自衛隊のことを調べてみたら日本の組織の強みと弱みが分かってしまった件11
俗物太郎です。
先回、日本軍がPDCAを回せていなかった理由である、5要素のうち、ピラミッド構造の頂点に位置する精神主義(陸軍の白兵銃剣主義と海軍の艦隊決戦主義というコンセプト)があることを述べました。
今回はそれらのコンセプトを支える下部の要素について書いていきたいと思います。
②年功序列のシステム
日本軍の人事は年功序列のシステムに基づいており、戦時中においても上を飛び越えるような抜擢人事はありませんでした。これに対し、米軍のミッドウェー作戦時に活躍したスプルーアンスとハルゼーの両提督は、太平洋艦隊司令長官であるニミッツ大将の抜擢人事でした。
年功上列というシステムは、能力よりも年次のほうが優先されるため、優秀な若手の登用はなく、組織に変化を起こすダイナミズムが失われます。
ただし、最初に述べた陸海軍のコンセプトを貫くという観点に立てば、年功上列は経験がものを言うので、より陸海軍のコンセプトに馴染んだ年次の上の者が、より下のものよりコンセプトを体現していると考えられます。
つまり、能力主義を採用するより、年功上列システムを採用する方が、精神主義をより保持する事ができます。
③学校秀才を重用
これは年功上列システムをベースとしながら、昇進させる際の考え方のことを意味しています。
まず、士官になる者は、陸海軍それぞれの士官学校に入学し、その後その中で成績の上位者が陸海軍それぞれの高等教育機関である、陸軍大学校、海軍大学校へ進みます。
両校で育成される人材としては、陸軍は高級参謀(高級参謀を経て将官へ)、海軍は将官でした。
さらに、両大学校では、成績によって序列ができ、成績の上位者がその後将官になっていきます。
教育内容として、陸軍は戦術を中心とした軍務重視型の教育が行われ、一方、海軍は理数系教育を重視して行われていました。いずれも成績上位者となるのは、理解力、記憶力の良い者でした。
(これは現在の学校教育にも当てはまります。ちなみに、学校成績の優秀なものが官僚になっていくと考えると、日本軍の将官を選定していく考え方と、日本の官僚を選定していくシステムは同じと言えます。つまり、日本軍の将校は官僚のように事務処理能力に長けていたと考えることができます。)
日本軍は既存の枠組みの中での最適解を出す能力に長けた者、言い換えると事務処理能力が高い者が、昇進していく仕組みでした。
ただし、既存の枠組みで最適解を出す能力は、戦争中のように環境が目まぐるしく変化し、既存の枠組みが通用しない状態では十分に発揮されません。
また、教育内容についても陸海軍それぞれの白兵銃剣主義、艦隊決戦主義のコンセプトに基づいているため、その中で優秀な成績を収めることはすなわちコンセプトの強化に繋がります。
④縦割りの組織
米軍が戦時中、統合参謀本部を作り、大統領をトップとして陸海軍の上位に置くことで、両者の調整を図り、連携して作戦を実行することができました。
一方、日本軍も陸海軍所属のもと大本営を作りましたが、両者の意見を調整するような上部構造はありませんでした。
唯一、その機能を担っていると言えるのは天皇でしたが、作戦内容の是非について判断する権利はなく、大本営から上梓する作戦を承認する機能しか持ち得ませんでした。
そのため、陸海軍で意見が割れた場合、両者の意見が並存するような歪な作戦が実行されることになります。
つまり、元々日本軍には組織間を横串でまとめ上げるという発想がなく、縦割りの組織の中で、上下のライン上で完結し、横からの情報共有をベースに柔軟に判断していく余地がありませんでした。
陸海軍ともどもそれぞれの発想のベースが所属する組織から拡がることはなく、日本軍の作戦の幅は米軍に比べて狭いものになってしまいました。
また、先回の記事で少し触れましたが、陸軍と海軍ではそもそも仮想敵国が異なっていました(陸軍:ソ連、海軍:米国)。そのため、太平洋戦争後半のレイテ海戦など、陸海軍の総力戦として臨む場合にも、仮想敵国の違いに基づく考え方の違いから、その能力を十分に発揮できていなかったと考えられます。
結局、縦割りの組織の中で陸海軍それぞれのコンセプトは熟成され、より強固になっていくことになります。
⑤和を大切にする風土
これは、日本人の美徳としてあげられることが多い要素ですが、こと戦争中のような緊急時、かつ軍隊のような官僚的組織において、大きくマイナスに働くことを理解しておく必要があります。
それは科学的合理性に基づく判断よりも、人と人との「間柄」を重視したり、その場の「空気」を重視したりする、情緒的判断が優先されるということです。
これは紹介してきた日本軍の失敗事例の中でも散見されます。
例えば、インパール作戦では成功する可能性が低いと誰もが分かっていたにも関わらず、牟田口中将の上司である河辺ビルマ方面軍司令官は、以前の上司と部下という関係もあり、「牟田口の意見を通してやりたい」という情緒的判断を下してしまいます。
また、同じインパール作戦についての会議上では、牟田口中将の熱意に押され、他の将校達は問題点を認識していたものの、それを言い出すことの出来ない「空気」がその場を支配しており、インパール作戦実行を黙認してしまいます。
この会議上での「空気」とは、慎重論を唱える事が、すなわち消極的な態度として糾弾されてしまうという状況を意味しています。
「間柄」や「空気」が支配的になるということは、責任が曖昧になることに繋がります。
合理的判断に基づいていないということは、因果関係が成り立っていないということであり、作戦が失敗した時の責任を追求することが難しくなります。
つまり日本軍における失敗において、信賞必罰の原則は成り立たず(むしろ信賞に偏重)、評価は、結果ではなく、やる気やプロセスに関してなされます。
客観的に見て明らかに間違った作戦であるインパール作戦において、牟田口中将は作戦立案時の熱意を評価され、惨憺たる結果については、司令部から更迭はされたものの、厳しく処罰されることはありませんでした。それどころか、後に陸軍予科士官学校の校長に就任しています。
一方、米軍の場合、例えば日本軍の真珠湾攻撃による奇襲を受けて損害を出した責任として、太平洋艦隊司令長官のキンメル大将はその後、軍法会議にかけられ厳しく処分されています。
以上、和を大切にする風土は、平時やうまくいっている時は特に問題になりませんが、太平洋戦争においては、合理的判断がなされず(「失敗の本質」 内で言及されていますが、山本七平氏はこれについて「日本軍の最大の特徴は『言葉を奪ったこと』と言い表しています」)、責任の所在が曖昧になってしまいました。
その結果、日本軍は失敗から学ぶ機会を失ってしまったと言えます。
つまり、PDCAでいう、Checkが働かなくなってしまったのです。
再度示しますが、下記の5要素が分かち難くお互いを補完し合い、ガッチリと日本軍の組織の屋台骨になってしまっていたため、PDCAが回せなくなってしまいました。
①精神主義
②年功上列のシステム
③学校秀才の重用
④縦割りの組織
⑤和を大切にする風土
そして、これがまさに日本軍の失敗事例を分析してあぶり出した日本組織の弱みです。
さらに、先述したように環境次第で上手くハマれば、これが強みに変わることもあります。
繰り返すと、上記の5要素は日本組織の強みでもあり、弱みでもあります。
これが、今回のテーマの結論になります。
ちなみに強みになる場合は、まさに高度経済成長期の日本に当てはまります。上記の①精神主義を、「高品質な製品を低価格で大量生産する」というコンセプトに置き換えれば、以降の要素をそのまま転用できます。上記コンセプトで日本の製品が世界を席巻し、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」(ハーバード大 エズラ・ヴォーゲル教授著)と賞賛されるまでになりました。
これまで「失敗の本質」を参考に日本軍の失敗事例を紹介し、それを元に日本の組織の特徴を説明してきました。
上記著書は、日本軍の失敗に学び、日本の組織が自ら学びながら変革していく自己変革型の組織になる事が必要という提言で締めくくられており、現代の日本の組織に向けて書かれています。
「失敗の本質」が刊行されたのは1984年で、刊行時点で戦後40年以上が経過し、1991年に文庫化され、2018年現在においてもなお読み継がれています。
このことは、日本の組織が日本軍の失敗から学び、今だに自己変革型組織になっているとは言い難い現状を表しているのではないでしょうか。
では次回、直近の日本組織の失敗事例として記憶に新しい東芝の問題について、先に挙げた日本組織の特徴である5要素を踏まえて分析したいと思います。