意識高男と俗物太郎、ときどき苦界生(いきる)が行く

海外MBA留学したい、刃牙大好き、ちなみに嫁とはセックスレス

自衛隊のことを調べてみたら日本の組織の強みと弱みが分かってしまった件⑩

俗物太郎です。

 

4.日本の組織の強みと弱み

 

さて、ここまで「失敗の本質」より太平洋戦争における日本軍の失敗について説明して来ました。

改めてここで、「失敗の本質」に書かれている日本軍が太平洋戦争での失敗事例における、失敗の本質について再度書きたい思います。

 

「日本軍は組織としての学習棄却が出来ていなかった」

 

これをもう少し耳慣れた言葉に直すと、下記になります。

 

「日本軍は組織としてPDCAが回せていなかった」

 

さらにこれを敷衍して今回のテーマ全てにわたる結論も再度示します。

 

「日本の組織はPDCAが回せていない」

 

上記を踏まえ、話を日本軍に戻すと、なぜ日本軍は組織としてPDCAが回せていなかったのでしょうか。

ノモンハン事件から始まるこれまで紹介してきの6つの失敗事例を踏まえると、下記5つの要素に集約されます(ちなみに以下5つの要素は「失敗の本質」を読んで、以降の話も踏まえて僕自身で再構成しました)。

 

精神主義

年功序列のシステム

③学校秀才を重用

④縦割りの組織

⑤和を大切にする風土

 

これらの5つの要因は「①精神主義」を頂点とし、「⑤和を大切にする風土」を土台とするピラミット構造と捉えることができます。

 

これらの要素が日本軍という組織の中で屋台骨として存在し、これがPDCAを回すことを阻害しています。また、この構造は大変強固であるため、組織自体が崩壊するレベルのことが起きない限りは無くなりません。

ただ、上記の5要素について改めて見てみると、日本軍の失敗の要因という文脈がなければ、良い意味で捉えられるものでもあります。

つまり、上記の5要素はその時々の環境に依存していることを表しています。5つの要素がその時の環境とカチッとハマれば、組織としての強さを強化する駆動力となります。逆に環境が合わなければ、全く力を発揮できないばかりか、日本軍の失敗事例に表れているように、むしろマイナスに働いてしまいます。

ここで、結論をさらに押し進めてしまいますが、よく日本の製品に対し、ガラパゴス化と言われますが、これは言葉を変えると、「ある環境に対し過剰に適応してしまったこと」を意味しています。

過剰に適応するということはすなわち、一時隆盛を誇った恐竜が環境変化に耐えられず、絶滅してしまったように、変化に対する脆弱性を内包しているということです。

ということは、上記5要素はある環境に対し、組織として過剰適応するための必要条件と言うことが出来ます。

 

ちょっと結論に向かって説明を急ぎすぎてしまいましたが、元に戻って、これまでの日本軍の失敗事例に照らし合わせて、日本軍がPDCAを回せなかった理由である①~⑤の要素をそれぞれ見て行きたいと思います。

 

精神主義

これは何を意味しているか一言でいうと、「はじめにコンセプトありき」ということです。

これまで述べてきた日本軍の失敗事例における日本軍の性格、作戦の特徴含め全ての底流に流れる最も重要な要素です。

例えば、日本軍の失敗要因の中で所々に現れる要因として「事実を軽視」があります。ノモンハン事件ではソ連軍の大兵力を十分に把握していなかったり、ガダルカナル作戦では第1陣が米軍の圧倒的戦力の前に惨敗を喫したにもかかわらず、戦力の逐次投入しかしませんでした。

 

また、「事実の軽視」は、情報収集の軽視にもつながります。

具体的には、暗号解読やレーダーなどの索敵装備の軽視です。ミッドウェー海戦では、戦闘前に既に日本の暗号は米軍に解読されてしまっていましたし、日本の艦隊は米軍のレーダーによっても先に発見されていました。

ただし、太平洋戦争において、精神主義の一番の問題は、事実よりも精神を上位に置くことで、相手の実力を過小評価してしまうことです。言い換えると相手に対する驕りが出てしまうということです。

 

特にノモンハン事件インパール作戦ガダルカナル作戦などの陸戦において、顕著に表れています。

それぞれの陸戦では作戦立案時に「なんとなく決死の作戦を立てれば、相手に勝ってしまうような楽観論」に支配されていました。

 

例えば、インパール作戦では、補給の観点から失敗の可能性が高いにも関わらず、作戦立案者の牟田口中将は食料に関して、「敵から奪えば良い」や、敵についても「銃を空に向かって3発撃てば敵は降伏するから安心して良い」という趣旨の発言をしており、決死の覚悟で敵と戦えば、勝つに決まっているという思い込みに支配されていました。

 

ちなみに、なぜこのような精神主義が日本軍に根付いていたかは「失敗の本質」で説明されており、日露戦争にまでさかのぼることになります。それは陸軍と海軍でそれぞれ異なったコンセプトととして組織に深く根付いています。

 

陸軍:白兵銃剣主義

海軍:艦隊決戦主義

 

上記のコンセプトが最初に述べた5要素からなるピラミッドの頂点にあり、下部構造に支えられ、揺るがない屋台骨を形成してしまっているのです。

つまり、日本軍は太平洋戦争より40年近く前のコンセプトで米軍と戦っていたのです。

 

では陸海軍それぞれのコンセプトは具体的に日露戦争の何に起因しているのでしょうか。

これらは、それぞれ日露戦争における日本軍の成功体験をベースにしています。

 

陸軍の白兵銃剣主義については、乃木希典大将の実行した肉弾突撃による旅順要塞攻略であり、海軍の艦隊決戦主義については、東郷平八郎元帥がロシアのバルチック艦隊を撃破した成功体験がベースになっています。

これらの成功体験が、陸海軍の戦闘におけるコンセプトとして「綱領」に落とし込まれ、年月を経て聖典となり、乃木大将や東郷元帥はそれらを体現した英雄として祭り上げられます。

それぞれのコンセプトは陸海軍の作戦から、それぞれの兵器の設計思想にまで落とし込まれています。

 

例えば、海軍の艦隊決戦主義でいうと、レイテ海戦におけるレイテ湾突入前の栗田艦隊の謎の反転も、実際には敵艦隊がいなかったものの、艦隊決戦を優先した結果と言えます。

また、海軍の兵器についても当時のリソーセスがなかったこともありますが、どちらかというと防御より、攻撃力重視の設計になっています(ミッドウェー海戦時に日本の空母は敵の攻撃で簡単に炎上し、航行不能になってしまいましたし、敵に恐れられた零戦も防御力については殆ど無いに等しい設計でした)。

繰り返しますが、日本軍の全ての失敗の大元は、これらのコンセプトから脱却出来なかったためです。

 

ちなみに、陸海軍のコンセプトの違いに加え、両者が想定していた敵もそれぞれ異なっていました。

もともと海軍は米国を仮想敵国と想定していましたが、陸軍の仮想敵国はソ連でした。しかも、戦闘は大平野で戦うことを前提としていました。そのため、ガダルカナル作戦やインパール作戦のようにジャングルで戦うことについて想定していませんでした。

 

以降、これらのコンセプトを支える下部構造について説明して行きます。