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自衛隊のことを調べてみたら日本の組織の強みと弱みが分かってしまった件⑨

俗物太郎です。

 

沖縄戦

いよいよ太平洋戦争の終盤である沖縄戦になりました。

この沖縄戦は既に米軍が沖縄に上陸してしまったところからスタートします。

この戦いは日本軍第32軍  約86,400名と米軍238,700名との沖縄での戦いのことを言います。

戦死者は日本側 将兵65,000名、住民約100,000名、米国側 将兵12,281名という凄惨な結果となりました。

 

沖縄戦は太平洋戦争の終局でもあり、日本軍組織上のまずさが全て集約されているといっても過言ではありません。

沖縄戦で失敗した要因を下記に示します。

 

・現場感のない机上の作戦だった

大本営と現地のコミュニケーションギャップを双方が解消しようとしなかった

 

まず1つ目ですが、日本軍の大本営は米軍の沖縄上陸を、米軍を叩くチャンスにしようと考えていました。そのため、沖縄の航空基地を確保し、航空機によって上陸中の米軍を攻撃し、甚大な被害を与えようと考えていました。これには天号作戦という名前がつけられています。

 

しかし、実際は沖縄戦の前にあった九州沖航空戦で多くの海軍所有の航空機が失われており、陸軍所有の第六航空軍の配備が大幅に遅れたことも重なり、実働できる航空機は陸海軍合わせて、420機程でした。

結局、米軍の沖縄上陸時に大した打撃を与えることが出来ず、米軍はほぼ無傷で上陸することになります。

さらに、大本営が天号作戦実行のため利用しようと考えていた、沖縄の北・中飛行場も米軍上陸後1日で抑えられてしまいます。このことは大本営に少なからぬ衝撃を与えました。

大本営は沖縄に米軍の大兵力が上陸した後も、この飛行場を利用した航空作戦にこだわり、実働部隊の第32軍に何度も北・中飛行場奪還を催促します。

これまで述べてきた日本軍の失敗事例のうち、特に陸上での戦い(ノモンハン作戦、インパール作戦ガダルカナル作戦)では、大本営が現地をほとんど見ることなく判断をしてしまい、現地の混乱に加え、多大な損害を出してしまっていました。

沖縄戦でもまさに同じような状況が起こっており、これが2つ目の要因にも繋がりますが、現地司令部の大本営に対する強い不信感に繋がります。

 

2つ目の大本営と現地のコミュニケーションギャップを双方が解消しようとしなかったとはどういうことでしょうか。

これはそもそも大本営と現地でまず考え方のギャップが存在しているところから始まります。

大本営は上記に述べたように、飛行場を活用した航空決戦を望んでいました。

一方、現地の牛島中将率いる第32軍は、現有戦力を踏まえると、持久戦に持ち込まざるを得ないと考えていました。

この考えの違いが、そもそものコミュニケーションギャップの根元にありました。

さらに、沖縄戦に至るまでにもコミュニケーションギャップを深める事象が起きていました。

まず、戦局の悪化に伴い大本営は部隊編成の見直しを検討し始めます。そして、大本営から沖縄の現地部隊に対し、フィリピンに部隊を送るよう要請が来ます。これを決める会議が台北で開催されました。

現地は持久戦を考えていたため、これ以上部隊を減らされると困るので、部隊派遣が出来ない旨の意見書を書き、台北に参集された八原参謀も上司の長少将指示のもと、会議中は意見書のみを提出し、あとは沈黙を貫きます。この意見書と沈黙を貫く八原参謀の態度によって会議ではまともな議論が出来ず、大本営と現地の間に不信感が生まれ、以降のコミュニケーションを阻害する下地ができてしまいました。

 

しかし、程なくして再度大本営より兵力、しかも精鋭部隊を送るよう要請が来て、結局精鋭の第9師団を送ることになりました。

ただし、これについては大本営も後から沖縄の部隊の補充について検討し、姫路の第84師団を送ることを一旦決めるのですが、直前になり、後に起きるであろう日本の本土決戦に備えるという理由から、第84師団の派遣は中止されてしまいます。

以上のような経緯があり、現地は大本営の指令を無視し、独断で持久戦に突入することになります。

この時点で、大本営は軍という組織において、現地の統帥が出来ていませんし、現地も大本営への不信感はあれど、軍という組織の中にいる以上、それを無視した独断をしているので、日本軍が組織として崩壊してしまっています。

結果的に、双方の間のコミュニケーションギャップを埋まらないまま、米軍は上陸を果たしてしまいました。

 

まとめると、現場を見ない大本営と、大本営を無視する現場という構図になってしまい、もはや日本軍が組織としての機能を失ってしまっていたのが沖縄戦でした。

他国と戦闘する軍が組織としての機能を失ってしまった段階で、既に日本は戦争に負けたと言えます。

その後、米軍の本土攻撃が始まって行きますが、日本国民の一方的な虐殺でした。

このことから日本軍は負けることにも失敗したと言えるかもしれません。

 

次はこれまでの日本軍の失敗事例を踏まえ、日本の組織としての強みと弱みを示したいと思います。