意識高男と俗物太郎、ときどき苦界生(いきる)が行く

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自衛隊のことを調べてみたら日本の組織の強みと弱みが分かってしまった件⑧

俗物太郎です。

 

⑤レイテ海戦

レイテ海戦は敗戦が濃厚になった日本のが持てる総力(戦艦、航空機)を挙げて戦った海戦であり、歴史上でも最大の海戦と言われています。

 

この海戦の目的は、着々と日本の本土を目指して北上してくる米軍に対し、フィリピンでこれを向かいうち、南方からの補給路確保と、米軍の本土上陸を食い止めることです。もし米軍にフィリピンを取られてしまえば、日本は南方からの補給ルートも分断され、本土上陸も時間の問題となり、日本の敗北が決定的になってしまいます。

 

そのため、日本軍はフィリピン海域のレイテ湾に突入し、米軍の水上部隊と上陸部隊、輸送船団を殲滅することを目的とした捷一号作戦という陸軍海軍合同の統合的な作戦を立案しました。

 

捷一号作戦は4つの艦隊(栗田、小沢、志摩、三輪の各艦隊長官)で編成され、戦艦9、空母4、重巡洋艦13、軽巡洋艦6、駆逐艦31の計63艦(これは当時の連合艦隊の戦力の8割に相当)に加え、潜水艦12隻、航空機716機(陸海軍機合計)という、大規模なものでした。

結局、この決戦が日本海軍が総力を挙げて戦った最後の決戦になりました。

 

レイテ海戦で実行された捷一号作戦が失敗した要因を下記に示します。

 

・戦力前提の崩壊、異常を前提としていた

・作戦目的が曖昧で実働部隊へ目的を徹底できていなかった

・通信能力が大幅に低下していた

 

では1つ目から見ていきましょう。まず戦力の前提が崩壊しているということはどういうことか。

この捷一号作戦は陸海軍の統合的な作戦であり、そのために航空機と艦隊の総力を挙げてそれぞれで米軍を攻撃することを前提にしています。

ただし、このレイテ海戦が始まる前に既に多くの航空機が米軍によって破壊されていました。

まず、レイテ海戦の前のマリアナ海戦で既に400機以上の失っており、さらに、フィリピン、沖縄、台湾に対する米軍の空襲により、合計700機以上を失ってしまいました。

日本軍はこのレイテ海戦で陸軍1,700機、海軍1,300機、合計3,000機の航空機で戦うことを見積っていましたが、作戦実行前に約1/4以上を失っていました。また、優秀なパイロットもミッドウェー海戦以降失っており、そもそもパイロットは育成に時間がかかるし、さらに優秀なパイロットとなるとさらに実践を経て経験を積んでいく必要があるため、航空機の損害以上に、パイロットの損失の方が大きいと言えるかもしれません。

 

またもう1つの異常を前提とした作戦というのはどういうものかというと、レイテ海戦に参戦する4つの艦隊のうち1つの艦隊(小沢艦隊)を全滅覚悟で囮として活用し、残りの艦隊で米軍を叩くということです。

上記の作戦会はフィリピンのマニラで行われましたが、会議上で、司令部参謀である神重徳大佐の発言としては、「フィリピンを米軍に取られてしまえば、南からの補給路が断たれ、連合艦隊も維持できなくなるため、この作戦で連合艦隊をすり潰しても構わないとの豊田司令長官のご意向である」と発言していることからも分かるように、既に玉砕覚悟の異常性が作戦に包含されていました。

つまり捷一号作戦は1/4の航空機が失われているという戦力の前提が崩壊し、かつ玉砕覚悟の異常性も包含しており、作戦の体をなしているとは言い難い作戦でした。

 

2つ目の作戦目的が曖昧で、実働部隊へ徹底できていなかったとはどういうことか。

ここでは、作戦を立案する艦隊司令部と、その実働部隊と2つに分けて考えます。

まず、艦隊司令部は先に述べたように、フィリピンを取られてしまえば日本は最期という危機感があったため、フィリピン上陸部隊を殲滅させなければならず、そのために、レイテ湾に突入しなければならないと考えていました。

そのために小沢中将率いる小沢艦隊を囮にし、レイテ湾を守っている米艦隊をレイテ湾から切り離すことで、日本の他艦隊がレイテ湾に突入しやすい状態を作ろうとしていたのです。

しかし、実際には残念ながらレイテ湾突入は実行されませんでした。

それは何故か。ここで実働部隊である栗田中将率いる栗田艦隊に視点を移したいと思います。

この栗田艦隊はのちにレイテ湾の直前で「謎の反転」と言われる反転行動を取ることになります。

では栗田中将はレイテ湾に突入し、米軍の上陸部隊や輸送船団を叩くということを理解していなかったのでしょうか?

いえ、そんなことはありません。先のマニラでの作戦会議上で司令部から作戦は伝えています。

ただ、栗田艦隊司令部の参謀である小沢少将は、司令部の神大佐に念を押すように一点確認しています。

それは、レイテ湾突入前に、もし敵主力艦隊と遭遇した場合には、栗田艦隊はそちらを優先するということです。これに対し、神大佐は「差し支えありません」と了承しています。

これが実は、レイテ海戦最大の山場での、謎の反転に繋がる最終判断の根拠となっています。

しかし、実際は小沢艦隊の囮作戦が功を奏し、レイテ湾付近に敵主力艦隊はおらず、レイテ湾入り口はガラ空きの状態でした。小沢艦隊は主力艦隊が近くにいると誤認し、反転をしてしまったのです。

ちなみに、歴史にもしもはありませんが、もし小沢艦隊がレイテ湾に突入していたらどうなっていたでしょうか。

実はレイテ湾内に停泊していた輸送船団の中には、後にGHQのトップになるマッカーサー大将がいたのです。マッカーサーは後の回想で「この時、勝利は栗田中将の手の中に転がり込もうとしていた」

と振り返っています。

ここで栗田艦隊が反転せずにレイテ湾に突入し、マッカーサー含めて輸送船団を叩いていたら、敗戦色濃厚だった日本の戦況が一変したかもしれません。

 

元に戻りますが、実際は司令部のレイテ湾に突入し、米軍の部隊を殲滅するという目的が明確ではなかったため、実働部隊の栗田中将に徹底させることが出来ませんでした。

 

この作戦目的の不明確さと実働部隊への不徹底というのは、ミッドウェー海戦時にも司令部の山本長官と実働部隊の南雲艦隊との関係という形で同じように現れていました。

 

結局、戦闘中では状況が混迷を極めていく中で、判断を積み重ねていく必要があります。

この時、作戦目的の達成のためには、いかに作戦目的を深く理解しているかにかかっていると言えます。それによって、大小含め最終的な判断ミスの数が変わってきます。

後に再度述べますが、日本海軍はDNAレベルで日本海軍の本分は艦隊決戦で相手を真正面から叩くことであると考えており、栗田中将は最終的にはこの考えに沿って行動することが正しいと判断したと推察されます。

 

3つめの通信能力の低下というのは、どういうことでしょうか。

それは、司令部の通信員が乗っていた栗田艦隊の旗艦である重巡洋艦愛宕」(艦隊側は旗艦を「大和」にすることを要望していましたが、足回りの観点から、戦艦よりも足回りの良い重巡洋艦の「愛宕」に変更されました)が米潜水艦によって被弾してしまい、通信員の相当数が被弾した愛宕を守る駆逐艦に乗り換えさせられ、そのまま補給基地へ戻ってしまい、通信員が足りなくなってしまったことです。

通信員の欠員は「大和」から補充されましたが、旗艦は「愛宕」だったため、旗艦としての通信に慣れておらず、かつ通信員間での連絡も不十分でした。

これらの要因が、先程述べた栗田艦隊の謎の反転に繋がっています。

 

レイテ海戦についてまとめたいと思います。

レイテ海戦で実行された捷一号作戦は、小沢艦隊を囮として使うというトリッキーな要素をもともと含んでおり、これは4つの艦隊が高度に連携を取らなければならないことを意味します。

 

しかし、実際は作戦実行前に、既に航空機が大量に破壊され、戦力の前提が崩壊しており、かつ、作戦目的が深いレベルで実働部隊の栗田艦隊に伝わっておらず、また艦隊の連携をする上で、神経系の役割を果たす、通信能力が大幅に低下しているという状態でした。

 

先に述べたように、捷一号作戦は連合艦隊をすり潰すという玉砕覚悟の異常を前提とした作戦の体をなしていない作戦であり、かつ実働部隊へ目的が深く徹底されておらず、連携を取るための通信も不十分という、ダメの上塗りになってしまっていました。

後付けにはなりますが、これはまさに失敗すべくして失敗した作戦と言えます。

「失敗の本質」の文中での言葉を借りると、この捷一号作戦は「高度な平凡性」が欠如していました。

 

次回でようやく最後の失敗事例である沖縄戦について書きたいと思います。