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自衛隊のことを調べてみたら日本の組織の強みと弱みが分かってしまった件⑥

俗物太郎です。

 

 ③インパール作戦

この作戦は知っている方もいると思いますが、無謀という言葉の代名詞となるような作戦でした。

あまりにも沢山の日本軍の兵士が死んだため、作戦で通った道は後に白骨街道と呼ばれるようになりました。

ではインパール作戦というのはどんな作戦だったのか。

太平洋戦争時、ビルマ(現ミャンマー)を防衛していた日本軍は戦局の悪化に伴い、隣のインドに駐留していた英印連合軍に対し、防御に徹するのではなく、日本軍側から積極的に侵攻する攻撃的防御を図る必要があるという考えを持っていました。

連合軍のいるインパールまで侵攻し、これを攻略するというのがインパール作戦です。ただし、地理的な問題があり、インパールに侵攻するためには、間にある険しい山やジャングルを超えていかなければなりませんでした。


そのような困難があるにも関わらず、無謀にも決行されたこの作戦は、日本軍に甚大な被害をもたらしました(参加兵士 10万人のうち、戦死者約3万人、戦傷者約2万人、残り5万人のうち半数は病人〔マラリアなど〕)。

では、なぜこのような作戦が実行されるに至ったのでしょうか。

この作戦の失敗の要因は大きくいうと下記の2つです。

1.精神主義に基づいた参謀の暴走

2.情緒的判断の優勢によるガバナンスの欠如

 

1.精神主義に基づいた参謀の暴走

ここでいう参謀というのは司令官(ビルマ方面軍第15軍)の1人だった牟田口中将のことです。

牟田口中将がこの無謀な作戦をと発案したのは個人的動機があるといわれています。

日中戦争の発端なった事件といわれている蘆溝橋事件の時、牟田口中将は連隊長でした。

そして、牟田口中将は自分の判断によって大規模な戦争に発展させてしまったのではないかという国家に対する負い目がありました。

そのため、その挽回のチャンスを伺っていた牟田口中将にとって、インパール作戦はまさに絶好のチャンスだったのです。

ただし、そのためには先ほど述べた地形上の困難などを乗り越えて行かなければなりません。

とそれを払拭させるために、積極的な攻撃による防御という精神主義に基づいたコンセプトでインパール作戦を発案したのではないかということです。

 本来なら、ここでどうやって作戦実施をする上での困難を解消していくかということを詰めなければならないのですが、戦局の悪化もあり、いつ連合軍が攻めてくるとも限りません。

予断を許さない状況の中で、現実的な解を持たないまま、結局、積極的攻撃による防御というコンセプト先行の精神主義が作戦の拠り所となってしまいました。

これは、前々回に述べたノモンハン事件とも相似形をなします。そして、このような精神主義が作戦の根幹にあると、以下のような弊害がでてきます。

・事実の軽視

・代替案の欠如

・反対意見の封殺

 

1つ1つ見ていきましょう。これはノモンハン事件の時とも重なります。

まず事実の軽視ですが、いくつかあります。インパール侵攻には険しい山やジャングルを超えていかなければならないのですが、そのためには当然十分な補給が必要になります。しかし、その時の牟田口中将の判断は、食料については、インパールに駐留していている敵から奪えばよいというものでした。

そのため、最短で到達する前提で必要になる、3週間分の食料があれば良いという結論になりました。ちなみに、移動の障害になるという理由で、重火器の装備は減らされていたため、攻撃された時の反撃能力も小さいものでした。

また、牟田口中将は連合軍の兵力を見くびっていました。それは、これまでのビルマでの戦闘経験に基づいたものでしたが、一方で連合軍も日本軍を空爆し、それが有効だということを確信しており、従来の方法から航空部隊と連携した攻撃方法をアップデートしていました。

この変化に日本軍は攻撃を受けていく中で、気づく機会はあったにも関わらず、連合軍に対する認識を変えませんでした(このことからも事実を軽視していることが分かります)。

さらに、連合軍は斥候などによって日本軍の作戦や動きを事前に把握していました。

そのため、連合軍側の司令官は、あえて後退することで、日本軍の兵站を伸ばさせ、行軍でヘロヘロになった状態の日本軍を叩くことで、効率的にダメージを与えていました。

 次に、代替案の欠如ですが、もともと補給が必要なのに最低限の食料で強行された作戦のため、失敗する可能性はかなり高いにも関わらず、代替案は考えられていませんでした。

これもノモンハン事件の時にも書きましたが、精神主義が根底にある場合、代替案というのはしばしば、消極的な姿勢というネガティブなものに捉えられてしまいます。結果、代替案を作ることを進言した人もいたようですが、上記のような理由で、牟田口中将からは厳しく叱責されました。

また、反対意見についても慎重論というようにネガティブに捉えられてしまい、それも封殺されました。このように、作戦に対して反対ができないムードが形成されてしまったのです。この結果、無謀な作戦が発動するに至りました。

 

 2.情緒的判断の優勢によるガバナンスの欠如

 これは、1の要因とも関係し、これもノモンハン事件を彷彿させるものがあります。

ビルマ方面軍の司令官は河辺中将という方でしたが、この河辺中将は実は、牟田口中将の元上司でした。

そのため、牟田口中将のもつインパール作戦で過去の負い目を挽回したいという心情も理解していました。そのため、インパール作戦が無謀と知りつつも、牟田口中将に対し、「こいつにひと花咲かさせてやりたい」という人情が働いてしまいました。つまり、方面軍においてインパール作戦は、具体的な実現性よりも、人情が優先されるという、情緒的判断によって承認されてしまいました。

また、日本にある大本営では、ノモンハン事件でもあったように、「現地がやると言っているのだから任せてやろう」という情緒的な判断によって、インパール作戦を追認してしまいます。

実はこの作戦を追認する判断の裏には、情緒的な判断以外もありました。このとき、戦局の悪化に伴って当時の東條内閣の支持率は低下してきており、政権維持のためにも、何か戦果になるようなものを探していました。インパール作戦承認の裏には、このような政治的判断もありました。

ちなみに、この時の東條首相はインパール作戦のことを聞いた時に、補給も含めた実現性について至極真っ当な質問を大本営にしているのですが、大本営は既にやると決めていたため、問題なしと回答しました。

 本来、軍隊というのはガチガチの官僚的組織であり、情緒的判断が横行する余地を排除するような組織のはずです。

なのに、なぜノモンハン事件インパール作戦のように、現実的判断に対し、情緒的判断が勝ってしまうのでしょうか。

そして、これはまさに日本軍という組織が持つ大きな特徴の一つと言えるのではないでしょうか。

次回に続く