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自衛隊のことを調べてみたら日本の組織の強みと弱みが分かってしまった件⑤

俗物太郎です。

 

ミッドウェー海戦

 

このミッドウェー海戦は、太平洋戦争において日本の敗北を決定づけたと言われている海戦です。

 

では、一体ミッドウェー海戦はどんな作戦で、何がまずかったのでしょうか。

 

どんな作戦かというと、ミッドウェー攻略によって、米空母を誘出させ、それを真珠湾のように航空機で奇襲し、米国艦隊に甚大な被害を与えるというものです。この作戦の立案者は山本五十六 連合艦隊長官です。

 

山本長官は米国との戦争は長期戦になったら、日本に勝ち目はないということをはっきりと認識していました(山本長官は米国へ留学経験があり、その際に日米の国力差[生産力差など]を肌で感じていました)。そのため、米国に対しては、短期で甚大な被害を与える奇襲が有効であるという結論に達します。

ミッドウェーでの奇襲が成功し、それによって米国の厭戦ムードが高まれば、米国議会で必ず戦争中止になるだろうと読んだのです(その後は、講和に持ち込み、日本に有利な条約を締結してしまえば良い)。

 

この作戦自体は、その時の海戦におけるトレンド(空母と航空機を連動させた戦闘)を踏まえていたし、米国の特徴も加味したリーズナブルなものでした(実際、1960年代のベトナム戦争では、米軍の被害が大きくなったため、米軍はベトナムから撤退しています)。

 

よく太平洋戦争というと圧倒的な兵力の米軍と、少ない兵力の日本というように対比されますが、実はこのミッドウェー海戦において、日米に兵力差はありませんでした(米国空母3隻に対し、日本は4隻)。むしろ、航空機の性能(日本は有名な零戦)やパイロットの練度では日本の方が優れていました。

 

ただ日本の不利な点としては、米軍はこの時日本軍の暗号を解読しており、作戦がほぼ筒抜けになっていたということに加え、索敵のためのレーダー能力に差があったということがあります。

 

作戦が筒抜けになっていた時点で奇襲するということ自体が成り立たなくなっているので、そうなると日米の司令官の現場レベルでの意思決定の差が勝敗を決定する要因になります。

 

ではミッドウェー海戦で日本軍はなぜ負けたのか、要因を下記に示したいと思います。

 

・作戦の二重性

・長官⇨司令官への作戦目的の不徹底

日本海軍の艦隊決戦思想という刷り込み

・リスクを見込んだ代替案の不在

・情報取得の重要性を軽視

・被弾時における空母の脆弱性

 

作戦の二重性というのは、このミッドウェーでの作戦が「ミッドウェーの攻略」と「米国空母を誘出してこれを叩く」という2つの要素があったということです。山本長官は先に述べたように、米国の空母を叩いて甚大な被害を出し、米国に厭戦ムードを起こして戦争を終わらすことが目的でした。つまり、ミッドウェー攻略よりも、米国の空母を叩くことの方が重要だったのです。

 

そこで2つ目の長官⇨司令官への作戦目的の不徹底に繋がります。

この ミッドウェー海戦で主役となるのは、第1機動部隊の南雲司令官ですが、実は南雲司令官は作戦目的はミッドウェーの攻略だと思っていました。そんなアホなと思うかもしれませんが、山本長官は自身の考える作戦目的の理解活動を十分にしていなかったため、南雲司令官はミッドウェーを攻略した後、艦隊決戦をするものだと思っていました。

じゃあ山本長官から南雲司令官に逐次無線で指示をすれば良いのではないかと思うかもしれませんが、先程述べたように、この作戦は奇襲の要素があったため、相手の無線傍受を避けるため、無線の使用は禁じられていました(これは米国側も同じです)。

 

そのため、戦局は司令官の現場の判断に委ねられていました。

 

一方、米国は太平洋艦隊を率いるニミッツ長官をトップとし、以下フレッチャー司令官や、スプルーアンス司令官がいました。そして、作戦には、とにかく日本軍の空母を撃破するという明確な目的がありました。さらに、長官⇨司令官の意思統一を図るため、作戦開始まで3人は同じ屋根の下で寝食をともにしていました。

 

日本は米国に対し、情報収集力の面では劣っていました(先に相手の艦隊を発見したのは米国)。これは、既に戦争の準備段階で、日本軍は米国ほど情報の重要性を意識してなかったと言えます。ちなみに、皮肉なことに米国が使っていたレーダーは日本人が発明した八木アンテナを活用したものだったようです。日本は自国の発明品の利用価値に気づいていませんでした。

 

また、空母も艦隊決戦思想に現れているように、攻撃を重視していたため、そもそも防御力を上げることが疎かになっていました。

 

結局、ミッドウェー海戦では何が起きたのか。南雲司令官は米国の間断ない戦闘機からの攻撃に対し、逐次撃破をしていましたが、 米空母の艦隊が近くまで来ているとは思わず、攻撃はいずれ終わるだろうと思っていました。そこで、米国の戦闘機と戦っていた日本の戦闘機は一度、空母に戻して体勢を整えさせ、後ろに控えている戦闘機部隊を出撃させようとしていました。

 

しかし、そうは行かず、ちょうど第一陣の収容と、第二陣の攻撃準備で艦上が混乱している時に、新しい米軍の戦闘機部隊が来てしまい、その爆撃をモロに受け、火薬満載の第二陣が艦上にいたために大爆発を起こし、結果4隻あった空母の3隻を失うことになりました。

 

実はこの少し前に、第1機動部隊以下の第2航空戦隊の山口司令官が、南雲司令官に米国空母がいるかもしれないから、第一陣を収容する前に、第二陣を出撃させるべきと意見を具申していました。しかし、南雲司令官はまだ米国の次の攻撃は来ないだろうという思い込みと、先に第二陣を出撃させてしまったら、その間に帰投しようとしていた第一陣が燃料不足で着水することになってしまうという躊躇があり、山口司令官の意見を退けてしまいます。

 

この判断が仇となり、日本軍の空母3隻は爆撃を受け炎上し、先程述べたように日本の空母は防御が脆弱なために、炎上が抑えられず航行不能になり、ミッドウェー海戦における敗北が決定づけられたのです。

 

ちなみに、米国の空母を日本も爆撃したのですが、米国の空母は爆撃を受けた時のことも考えられた設計だったため、 火は2時間ほどで鎮火されたようです。そのため、日本軍は米国の空母を撃沈したと思い込み、鎮火された空母が現れた時には、別の新しい空母が現れたと認識してしまったようです。

最終的に、1隻残っていた日本の空母も爆撃されてしまい、全ての空母を失いました。

 

このように、当初は劣勢な面もあった米国が、作戦通り日本の空母を撃破することができたのも、日本側の要因に加え、米国司令官のスプルーアンスの、全軍で日本の空母を攻撃するという果敢な判断によるところも大きく影響していました。

 

これは、ニミッツ長官がスプルーアンスと寝食をともにして、作戦目的の伝達に努めた結果とも言えます。

 

今となっては、ミッドウェー海戦は日米での作戦に対する、意思統一の徹底具合の差で、既に勝敗が付いていたと言えるかもしれません。その差が、現場レベルでの意思決定の差となり、結果、日本は敗北を決定づける判断ミスをしてしまいました。意思決定の差による敗北は、すなわち組織としての敗北と言えます。

 

次回はインパール作戦について説明したいと思います。