地方国立大卒だけど「学歴」についての話題を終わらせてみようと思う③ 時代の趨勢とペーパーテストの関係#1
意識高男です。
前回は学歴の定義(このブログでの)、
「学歴」:ペーパーテストの点数による序列が、大学別に反映されたもの
であり、ペーパーテストで測れる能力とは下記であると書いた。
①ある程度の記憶力
②情報処理能力(知識の構造化)
③あまり面白くない大量の知識をインプットする作業(受験勉強)をこなす精神的な粘り強さ
では、上記の能力をベースとした「学歴」は社会でどう機能してきたのか。
どうせなら、遡れるところまで遡ってみたい。
するとどこへ行きつくかというと、大学ができた当初(帝国大学)まで行き着く。
ただし、調べてみると初期の帝国大学は基本的に当時の高校(旧制高校)からのエスカレーターで無試験であったそうなので、実質、旧制高校の受験が今でいうペーパーテストによる入試のスタートになる。
旧制高校の入試はいつから始まったかというと、これも調べると1902年(明治35年)の文部省告示第82号「高等学校大学予科入学試験規定」により、総合共通選抜制(全国統一の試験)からのようだ。
しかし、事前に受験者からヒアリングした志望校(第3希望まで)の情報をもとに、お上が勝手に進学する高校を選ぶというシステムであり、進学者の意欲低下を招き、しばらく経った1919年度からは学校別の入試になった。
要するに学歴を形成するペーパーテストの歴史は、今から100年以上昔の明治時代にまで遡ることになるのだ。
では、スタート地点まで遡ったところで、時代の趨勢とペーパーテストの点数による選抜の関係を下記の時代別にみていきたい(これから述べる歴史認識はあくまで、私見によるものなのであしからず)。
①欧米キャッチアップによる日本近代化の時代(明治初期~後期)
明治維新によって文明開化した日本がまずやった政策は「とにかく欧米に追い付け」である。
欧米の知識をインプットしまくり、日本の発展に役立てる。そのためには、まずは大学を作り、欧米の知識が詰め込まれた人を教員にする。
その教員が優秀な生徒を育て、政財界、産業界、または学会へと人をどんどん送り込み、彼らがそれぞれの職責において、その欧米の知識を活用する。
日本にも産業革命が起こり、近代化によって国が発展していく。
「欧米の知識のインプット」=「勉強」であるから、時代の趨勢(近代化)とペーパーテストで選抜された人達による日本社会のリードは、うまくリンクしていたと言える。
近代化が進んできた日本は、それに伴い軍事力も高めていった。
だんだん時代が「欧米キャッチアップによる近代化」から、「世界の帝国主義に伍するための軍事力強化」へパラダイムシフトいていった。
となると、学校教育もそれに伴って目的が「欧米の知識をたくさんインプットして日本の近代化に貢献する人」を輩出することから、「優秀な軍人」を輩出することに変わっていった(ホリエモンも同じようなことを言っていた)。
では、優秀な軍人とは何か?
当然、最先端の軍事知識をたくさん知っていることである。
最先端の軍事知識というと、いくら日本が近代化をしてきたとはいえ、まだ欧米に比べたらにわか近代化であり、最先端の軍事知識のストックは当時の日本にはない。
となれば、ナポレオン時代から近代の軍事知識を研究、発展してきた欧州、続いて米国の軍事知識が最先端に決まっている。
ということは、欧米の軍事知識をたくさん知っていることが優秀な軍人であり、
「欧米の知識のインプット」=「勉強」の図式がここでも成り立ち、ペーパーテストで選抜された人達による日本社会(軍国主義)のリードは、図らずとも成り立ってしまうのである。
次回は上記の続き、
③戦後から高度経済成長期(昭和中期~後記)について書いていきたい。