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地方国立大卒だけど「学歴」についての話題を終わらせてみようと思う② ペーパーテストで測れる能力とは

どうも意識高男です。

 

前回、「学歴」は一つの「ものさし」であり、下記の良い面、悪い面があるものの、 基本的に僕は「思考停止ワード」としてネガティブな言葉として捉えていると書いた。

 

良い面:多くの人が(感覚的にざっくりとだが)理解できてわかりやすい

悪い面:学歴で図ることでその人を型にはめてしまう(人によってはネガティブな思い込みを植え付けてしまう)

 

では、まずそもそも「学歴」はどのような能力を担保しているのかというところからスタートしたい。

 

周知のとおり、我々は基本的に中学校までを義務教育で過ごし、その後、高校、大学入学時点で入学試験、いわゆる「受験」をしなくてはならない。

(これも周知のことと思うが、一部の学校は中学でも受験が必要だし、エスカレーター校は高校、大学の受験が不要の場合もある)

 

例えば大学受験の場合、国立大学を受験する場合は、大学入試センター試験を受けた後、2次試験といわれる各大学個別の試験を受けることになる。

そしてそれらは、いずれもペーパーテストである(私見だが、TOEFLのようにテスト自体を電子化してしまえば、大幅なコスト削減できそう)。

 

そのペーパーテストで何が問われるかというと、文科省指定の学習指導要領に則った、高校までの各科目で学習するべき内容、もっと端的にいうと「範囲が決まっている内容の知識を身に付けているか否か」である。

 

テストの結果、我々は点数で序列を付けられることになる(計算方法を変えれば点数が偏差値に置き換わる)

 

そして、テスト結果の上位者はテスト結果の上位者が集まる大学へ行くため、大学の序列が出来上がる。つまり「学歴」というのはペーパーテストの点数による序列が、大学別に反映されたものと言い換えることができる

 

なにを当たり前のことをくどくどと書いているんだ、と思われるかもしれないが、「学歴」についての話題を終わらせるためには、「学歴」というものをはっきりと定義しなければならないこともご承知願いたい。

 

ではそのペーパーテストで測れる能力とは、果たしてなんだろうか、それは下記である。

 

①ある程度の記憶力

②情報処理能力(知識の構造化)

③あまり面白くない大量の知識をインプットする作業(受験勉強)をこなす精神的な粘り強さ

 

まずそもそも、ある程度の記憶力がなければ、受験勉強に必要な大量の知識をインプットできないし、情報処理能力がなければ、覚えた知識をテストという限られた時間の中で活用することができない。

そして、最後に(ここが一番重要かもしれないが)、基本的に受験勉強というのは面白くないが、その面白くない受験勉強をやり続けるには粘り強さがなければならない。

(当然、テストという1時間、ないし2時間も集中して問題を解くという作業をこなすにも粘り強さが必要である)

 

ちなみに、よく「いい大学に入ったあの人は頭がいい」というようなことを聞いたり(自分でも言ったり)するが、この場合の「頭がいい」というのはあくまで上記の①「ある程度の記憶力」と②「情報処理能力」を指すことにしか過ぎないことを心に留めておく必要がある。

 

「頭がいい」というのはそもそも曖昧な表現であり、例えば我々は上記の記憶力や情報処理力に優れた人を頭がいいということもあれば、様々なアイデアを次々に出す人や会話の中でぱっと気の利いた返しができる人、誰も気付かなかったやり方を提案した人を指すこともある。

 

次回はそのペーパーテストで良い点をとり、良い大学に入った結果手にした「学歴」がこれまでに、社会でどう有効に機能してきたかを書きたいと思う。