意識高男と俗物太郎、ときどき苦界生(いきる)が行く

海外MBA留学したい、刃牙大好き、ちなみに嫁とはセックスレス

自衛隊のことを調べてみたら日本の組織の強みと弱みが分かってしまった件⑥

俗物太郎です。

 

 ③インパール作戦

この作戦は知っている方もいると思いますが、無謀という言葉の代名詞となるような作戦でした。

あまりにも沢山の日本軍の兵士が死んだため、作戦で通った道は後に白骨街道と呼ばれるようになりました。

ではインパール作戦というのはどんな作戦だったのか。

太平洋戦争時、ビルマ(現ミャンマー)を防衛していた日本軍は戦局の悪化に伴い、隣のインドに駐留していた英印連合軍に対し、防御に徹するのではなく、日本軍側から積極的に侵攻する攻撃的防御を図る必要があるという考えを持っていました。

連合軍のいるインパールまで侵攻し、これを攻略するというのがインパール作戦です。ただし、地理的な問題があり、インパールに侵攻するためには、間にある険しい山やジャングルを超えていかなければなりませんでした。


そのような困難があるにも関わらず、無謀にも決行されたこの作戦は、日本軍に甚大な被害をもたらしました(参加兵士 10万人のうち、戦死者約3万人、戦傷者約2万人、残り5万人のうち半数は病人〔マラリアなど〕)。

では、なぜこのような作戦が実行されるに至ったのでしょうか。

この作戦の失敗の要因は大きくいうと下記の2つです。

1.精神主義に基づいた参謀の暴走

2.情緒的判断の優勢によるガバナンスの欠如

 

1.精神主義に基づいた参謀の暴走

ここでいう参謀というのは司令官(ビルマ方面軍第15軍)の1人だった牟田口中将のことです。

牟田口中将がこの無謀な作戦をと発案したのは個人的動機があるといわれています。

日中戦争の発端なった事件といわれている蘆溝橋事件の時、牟田口中将は連隊長でした。

そして、牟田口中将は自分の判断によって大規模な戦争に発展させてしまったのではないかという国家に対する負い目がありました。

そのため、その挽回のチャンスを伺っていた牟田口中将にとって、インパール作戦はまさに絶好のチャンスだったのです。

ただし、そのためには先ほど述べた地形上の困難などを乗り越えて行かなければなりません。

とそれを払拭させるために、積極的な攻撃による防御という精神主義に基づいたコンセプトでインパール作戦を発案したのではないかということです。

 本来なら、ここでどうやって作戦実施をする上での困難を解消していくかということを詰めなければならないのですが、戦局の悪化もあり、いつ連合軍が攻めてくるとも限りません。

予断を許さない状況の中で、現実的な解を持たないまま、結局、積極的攻撃による防御というコンセプト先行の精神主義が作戦の拠り所となってしまいました。

これは、前々回に述べたノモンハン事件とも相似形をなします。そして、このような精神主義が作戦の根幹にあると、以下のような弊害がでてきます。

・事実の軽視

・代替案の欠如

・反対意見の封殺

 

1つ1つ見ていきましょう。これはノモンハン事件の時とも重なります。

まず事実の軽視ですが、いくつかあります。インパール侵攻には険しい山やジャングルを超えていかなければならないのですが、そのためには当然十分な補給が必要になります。しかし、その時の牟田口中将の判断は、食料については、インパールに駐留していている敵から奪えばよいというものでした。

そのため、最短で到達する前提で必要になる、3週間分の食料があれば良いという結論になりました。ちなみに、移動の障害になるという理由で、重火器の装備は減らされていたため、攻撃された時の反撃能力も小さいものでした。

また、牟田口中将は連合軍の兵力を見くびっていました。それは、これまでのビルマでの戦闘経験に基づいたものでしたが、一方で連合軍も日本軍を空爆し、それが有効だということを確信しており、従来の方法から航空部隊と連携した攻撃方法をアップデートしていました。

この変化に日本軍は攻撃を受けていく中で、気づく機会はあったにも関わらず、連合軍に対する認識を変えませんでした(このことからも事実を軽視していることが分かります)。

さらに、連合軍は斥候などによって日本軍の作戦や動きを事前に把握していました。

そのため、連合軍側の司令官は、あえて後退することで、日本軍の兵站を伸ばさせ、行軍でヘロヘロになった状態の日本軍を叩くことで、効率的にダメージを与えていました。

 次に、代替案の欠如ですが、もともと補給が必要なのに最低限の食料で強行された作戦のため、失敗する可能性はかなり高いにも関わらず、代替案は考えられていませんでした。

これもノモンハン事件の時にも書きましたが、精神主義が根底にある場合、代替案というのはしばしば、消極的な姿勢というネガティブなものに捉えられてしまいます。結果、代替案を作ることを進言した人もいたようですが、上記のような理由で、牟田口中将からは厳しく叱責されました。

また、反対意見についても慎重論というようにネガティブに捉えられてしまい、それも封殺されました。このように、作戦に対して反対ができないムードが形成されてしまったのです。この結果、無謀な作戦が発動するに至りました。

 

 2.情緒的判断の優勢によるガバナンスの欠如

 これは、1の要因とも関係し、これもノモンハン事件を彷彿させるものがあります。

ビルマ方面軍の司令官は河辺中将という方でしたが、この河辺中将は実は、牟田口中将の元上司でした。

そのため、牟田口中将のもつインパール作戦で過去の負い目を挽回したいという心情も理解していました。そのため、インパール作戦が無謀と知りつつも、牟田口中将に対し、「こいつにひと花咲かさせてやりたい」という人情が働いてしまいました。つまり、方面軍においてインパール作戦は、具体的な実現性よりも、人情が優先されるという、情緒的判断によって承認されてしまいました。

また、日本にある大本営では、ノモンハン事件でもあったように、「現地がやると言っているのだから任せてやろう」という情緒的な判断によって、インパール作戦を追認してしまいます。

実はこの作戦を追認する判断の裏には、情緒的な判断以外もありました。このとき、戦局の悪化に伴って当時の東條内閣の支持率は低下してきており、政権維持のためにも、何か戦果になるようなものを探していました。インパール作戦承認の裏には、このような政治的判断もありました。

ちなみに、この時の東條首相はインパール作戦のことを聞いた時に、補給も含めた実現性について至極真っ当な質問を大本営にしているのですが、大本営は既にやると決めていたため、問題なしと回答しました。

 本来、軍隊というのはガチガチの官僚的組織であり、情緒的判断が横行する余地を排除するような組織のはずです。

なのに、なぜノモンハン事件インパール作戦のように、現実的判断に対し、情緒的判断が勝ってしまうのでしょうか。

そして、これはまさに日本軍という組織が持つ大きな特徴の一つと言えるのではないでしょうか。

次回に続く

 

 

 

 

自衛隊のことを調べてみたら日本の組織の強みと弱みが分かってしまった件⑤

俗物太郎です。

 

ミッドウェー海戦

 

このミッドウェー海戦は、太平洋戦争において日本の敗北を決定づけたと言われている海戦です。

 

では、一体ミッドウェー海戦はどんな作戦で、何がまずかったのでしょうか。

 

どんな作戦かというと、ミッドウェー攻略によって、米空母を誘出させ、それを真珠湾のように航空機で奇襲し、米国艦隊に甚大な被害を与えるというものです。この作戦の立案者は山本五十六 連合艦隊長官です。

 

山本長官は米国との戦争は長期戦になったら、日本に勝ち目はないということをはっきりと認識していました(山本長官は米国へ留学経験があり、その際に日米の国力差[生産力差など]を肌で感じていました)。そのため、米国に対しては、短期で甚大な被害を与える奇襲が有効であるという結論に達します。

ミッドウェーでの奇襲が成功し、それによって米国の厭戦ムードが高まれば、米国議会で必ず戦争中止になるだろうと読んだのです(その後は、講和に持ち込み、日本に有利な条約を締結してしまえば良い)。

 

この作戦自体は、その時の海戦におけるトレンド(空母と航空機を連動させた戦闘)を踏まえていたし、米国の特徴も加味したリーズナブルなものでした(実際、1960年代のベトナム戦争では、米軍の被害が大きくなったため、米軍はベトナムから撤退しています)。

 

よく太平洋戦争というと圧倒的な兵力の米軍と、少ない兵力の日本というように対比されますが、実はこのミッドウェー海戦において、日米に兵力差はありませんでした(米国空母3隻に対し、日本は4隻)。むしろ、航空機の性能(日本は有名な零戦)やパイロットの練度では日本の方が優れていました。

 

ただ日本の不利な点としては、米軍はこの時日本軍の暗号を解読しており、作戦がほぼ筒抜けになっていたということに加え、索敵のためのレーダー能力に差があったということがあります。

 

作戦が筒抜けになっていた時点で奇襲するということ自体が成り立たなくなっているので、そうなると日米の司令官の現場レベルでの意思決定の差が勝敗を決定する要因になります。

 

ではミッドウェー海戦で日本軍はなぜ負けたのか、要因を下記に示したいと思います。

 

・作戦の二重性

・長官⇨司令官への作戦目的の不徹底

日本海軍の艦隊決戦思想という刷り込み

・リスクを見込んだ代替案の不在

・情報取得の重要性を軽視

・被弾時における空母の脆弱性

 

作戦の二重性というのは、このミッドウェーでの作戦が「ミッドウェーの攻略」と「米国空母を誘出してこれを叩く」という2つの要素があったということです。山本長官は先に述べたように、米国の空母を叩いて甚大な被害を出し、米国に厭戦ムードを起こして戦争を終わらすことが目的でした。つまり、ミッドウェー攻略よりも、米国の空母を叩くことの方が重要だったのです。

 

そこで2つ目の長官⇨司令官への作戦目的の不徹底に繋がります。

この ミッドウェー海戦で主役となるのは、第1機動部隊の南雲司令官ですが、実は南雲司令官は作戦目的はミッドウェーの攻略だと思っていました。そんなアホなと思うかもしれませんが、山本長官は自身の考える作戦目的の理解活動を十分にしていなかったため、南雲司令官はミッドウェーを攻略した後、艦隊決戦をするものだと思っていました。

じゃあ山本長官から南雲司令官に逐次無線で指示をすれば良いのではないかと思うかもしれませんが、先程述べたように、この作戦は奇襲の要素があったため、相手の無線傍受を避けるため、無線の使用は禁じられていました(これは米国側も同じです)。

 

そのため、戦局は司令官の現場の判断に委ねられていました。

 

一方、米国は太平洋艦隊を率いるニミッツ長官をトップとし、以下フレッチャー司令官や、スプルーアンス司令官がいました。そして、作戦には、とにかく日本軍の空母を撃破するという明確な目的がありました。さらに、長官⇨司令官の意思統一を図るため、作戦開始まで3人は同じ屋根の下で寝食をともにしていました。

 

日本は米国に対し、情報収集力の面では劣っていました(先に相手の艦隊を発見したのは米国)。これは、既に戦争の準備段階で、日本軍は米国ほど情報の重要性を意識してなかったと言えます。ちなみに、皮肉なことに米国が使っていたレーダーは日本人が発明した八木アンテナを活用したものだったようです。日本は自国の発明品の利用価値に気づいていませんでした。

 

また、空母も艦隊決戦思想に現れているように、攻撃を重視していたため、そもそも防御力を上げることが疎かになっていました。

 

結局、ミッドウェー海戦では何が起きたのか。南雲司令官は米国の間断ない戦闘機からの攻撃に対し、逐次撃破をしていましたが、 米空母の艦隊が近くまで来ているとは思わず、攻撃はいずれ終わるだろうと思っていました。そこで、米国の戦闘機と戦っていた日本の戦闘機は一度、空母に戻して体勢を整えさせ、後ろに控えている戦闘機部隊を出撃させようとしていました。

 

しかし、そうは行かず、ちょうど第一陣の収容と、第二陣の攻撃準備で艦上が混乱している時に、新しい米軍の戦闘機部隊が来てしまい、その爆撃をモロに受け、火薬満載の第二陣が艦上にいたために大爆発を起こし、結果4隻あった空母の3隻を失うことになりました。

 

実はこの少し前に、第1機動部隊以下の第2航空戦隊の山口司令官が、南雲司令官に米国空母がいるかもしれないから、第一陣を収容する前に、第二陣を出撃させるべきと意見を具申していました。しかし、南雲司令官はまだ米国の次の攻撃は来ないだろうという思い込みと、先に第二陣を出撃させてしまったら、その間に帰投しようとしていた第一陣が燃料不足で着水することになってしまうという躊躇があり、山口司令官の意見を退けてしまいます。

 

この判断が仇となり、日本軍の空母3隻は爆撃を受け炎上し、先程述べたように日本の空母は防御が脆弱なために、炎上が抑えられず航行不能になり、ミッドウェー海戦における敗北が決定づけられたのです。

 

ちなみに、米国の空母を日本も爆撃したのですが、米国の空母は爆撃を受けた時のことも考えられた設計だったため、 火は2時間ほどで鎮火されたようです。そのため、日本軍は米国の空母を撃沈したと思い込み、鎮火された空母が現れた時には、別の新しい空母が現れたと認識してしまったようです。

最終的に、1隻残っていた日本の空母も爆撃されてしまい、全ての空母を失いました。

 

このように、当初は劣勢な面もあった米国が、作戦通り日本の空母を撃破することができたのも、日本側の要因に加え、米国司令官のスプルーアンスの、全軍で日本の空母を攻撃するという果敢な判断によるところも大きく影響していました。

 

これは、ニミッツ長官がスプルーアンスと寝食をともにして、作戦目的の伝達に努めた結果とも言えます。

 

今となっては、ミッドウェー海戦は日米での作戦に対する、意思統一の徹底具合の差で、既に勝敗が付いていたと言えるかもしれません。その差が、現場レベルでの意思決定の差となり、結果、日本は敗北を決定づける判断ミスをしてしまいました。意思決定の差による敗北は、すなわち組織としての敗北と言えます。

 

次回はインパール作戦について説明したいと思います。

自衛隊のことを調べてみたら日本の組織の強みと弱みが分かってしまった件④

俗物太郎です。

 

先回、自衛隊という組織の特徴をあぶり出すために、旧日本軍が持っていた特徴をあぶり出したいと述べました。

 

これを実施する上で、幸いにも大変参考になる本があります。知っている人も多いかもしれませんが、「失敗の本質 日本軍の組織論的研究」(戸部良一、他)です。

 

これは、太平洋戦争における諸作戦の失敗を、組織としての日本軍の失敗と捉え直し、これを現代の組織一般にとっての教訓として活用することを狙いとして書かれた本です。

歴史の勉強にもなるし、いろいろ示唆に富むことが書いてありますので、興味がある方は、是非読まれることをお勧めします。

以降、今回のテーマのベースになる考え方は、この本を参考にしています。

 

さて、この本に書かれている日本軍における失敗の本質を一言で表すと下記になります。

 

「日本軍は組織としての学習棄却ができていなかった」

 

学習棄却という難しい言葉があるので、もっと馴染みがありそうな言葉に置き換えると下記のようになります。

 

「日本軍は組織としてのPDCAが回せていなかった」

 

さらにこれを、下記のように変えると、今回のテーマの結論になります。

 

「日本の組織はPDCAが回せていない」

 

以降、「失敗の本質」で言及されていることに僕自身の考察も加え、なぜ日本の組織はPDCAが回せていないのか明らかにしていきたいと思います。

 

では日本軍の話に戻ります(しばらく「失敗の本質」に書かれている内容が続きますので、本を読んだ方や、太平洋戦争に詳しい方は、読み飛ばして下さい)。

 

「失敗の本質」では下記6つの作戦について取り上げているので、それぞれざっくりですが説明していきたいと思います。

 

ノモンハン事件

ミッドウェー海戦

インパール作戦

ガダルカナル作戦

⑤レイテ海戦

沖縄戦

 

ノモンハン事件

 

これは、当時中国で日本軍が作った満州国外モンゴルとの国境における、ソ連軍の武力衝突のことです。当初、国境付近でのちょっとした小競り合いでしたが、その後大規模な武力衝突に発展しました。

これによって、日本軍、ソ連軍共に2万人近くの戦傷者が出ました。圧倒的な物量のソ連軍に対し、日本軍は最終的に撤退したのですが、その時には各部隊の損耗率が60〜70%もあったようです。

 

ソ連軍と日本軍の兵力について、「失敗の本質」での内容をを読み解いて下記に示したいと思います。

ソ連軍の兵力は、ソ連内陸部から前線へ送られた兵力も含め、およそ狙撃3個師団(約27大隊)、戦車4個旅団以上(600両以上)、飛行機2個旅団(約300機)、装甲車二個旅団(150-200両)、他(砲兵2個連隊。通信2個大隊、架橋1個大隊、給水工兵1個中隊)です。

 

ちなみに軍の単位は下記を参考下さい(近代陸軍の場合。また、数は国、時代によっても異なる)。

師団:10,000 - 20,000人

旅団: 2,000 - 5,000人

連隊: 500 - 5,000人

大隊: 300 - 1000人

中隊: 60 - 250人

 

これに対し、日本軍は第23師団と中心として、歩兵9大隊、火砲約100門、戦車2連隊、高射砲1連隊、工兵5中隊、自動車400両、飛行機約180機でした。

 

日本軍とソ連軍で単純な兵力の比較は難しいですが、歩兵だけでも日本軍に対して3倍の差がありました。

 

では、このような兵力差があったにも関わらず、なぜ日本軍はソ連軍に対し武力衝突を仕掛けたのでしょうか。

 

主な要因は下記です。

 

ソ連軍の兵力を過小評価(情報の軽視)

関東軍満州)参謀の暴走(参謀の発言力が大)

・参謀の暴走を認める雰囲気(精神主義の支配)

・軍本部(日本)の関東軍に対する曖昧な指示(責任分担が曖昧)

 

どういうことかというと、そもそも日本軍はソ連軍を見くびっていました。その前提のもと、オラオラ系の参謀が、やらなくても良いのにソ連軍をやっちまえと考えて作戦を立てます。

実際に一部、やめた方がいいんじゃないかという冷静な意見がありましたが、そういう意見は消極的な姿勢であると周囲から判断され、潰されてしまいました。

また、日本の軍本部も、まぁ現地(関東軍)に任せておくかという感じで、戦局が悪化しているのを知りつつもはっきりと作戦中止命令を出さず、「少しずつ投入兵力を減らせ」というような、暗に作戦中止を示唆するような曖昧な表現で、現地に指示を出していました。当然これでは誰が作戦に対する責任者なのかがよくわかりません。

 

上記のような理由によってノモンハン事件は日本軍にとって大きな被害を出してしまいました。

それにもかかわらず、司令部は厳しい責任を取らさせることはなく異動や更迭の処分に留まり、逆になんとか戦場から生き残った部隊長が、敵前逃亡したと判断されて自決を強要されたそうです。

そのため、日本軍は貴重な経験を、その後に活かす機会を自ら潰してしまいました。

 

次回は日本敗戦のターニングポイントとなったと言われているミッドウェー海戦について、説明していきたいと思います。

 

次回へ続く

 

自衛隊のことを調べてみたら日本の組織の強みと弱みが分かってしまった件③

 俗物太郎です。

 

さてそれでは自衛隊の組織について見てみましょう。知っている人も多いとは思いますが、自衛隊内閣総理大臣をトップに、防衛大臣と続き、その下に統合幕僚監部、および陸上/海上/航空自衛隊が並んでいます。また、行政面で防衛大臣をサポートするため、防衛省の内部部局も並んでいます。

 

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自衛隊組織図(防衛省HPより)

次にアメリカ軍の組織図を見てみましょう。組織図では、国防長官(Secretary of Defense)が一番上になっていますが、トップはアメリカ大統領です。国防長官の元には、統合参謀本部Joint Chiefs of Staff)、陸海空軍が並んでいます。また、アメリカ国防長官府(Office of the Secretary of Defense)が自衛隊組織図中の内部部局のように並んでいます。

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アメリカ軍 組織図(国防総省Wikipediaより)


二つの組織図を見て分かるように、自衛隊もアメリカ軍も組織としてはほとんど同じです。それもそのはずで、自衛隊設立時にアメリカ軍が関わっているために、似たような組織になるのは当然です(世界の軍組織もだいたい同じ)。

 

そのため、組織図だけを見ても、自衛隊という組織の特徴はあぶり出されません。

僕は組織論の専門家ではありませんが、組織の特徴を見るためには少なくとも下記2つの要素は知っておく必要があるでしょう。

 

組織の構成員

組織のもつ考え/理念

 

自衛隊の構成員は日本人ということで、ここに異論はないでしょう(ここについて詳しくは後述します)。では、自衛隊という組織がもつ考え/理念はどうでしょうか。

これについても、自衛隊という組織を国防軍と考えた場合、その考え/理念は、日本の国土と国民を守ることに他なりません。これは、他の国も同様です。そのため、考えを取り上げても、自衛隊固有の特徴は出てきません。

(日米安全保障体制を取っているという特徴はありますが、日米安保のややこしい話に入っていく気はないのと、日米安全保障体制というのはあくまで作戦行動上のオペレーションの話として捉えられるため、自衛隊という組織自体の特徴へは影響を与えないものとみなし、ここでは取り上げません)。

 

では、自衛隊という組織をもう少し層別し、陸上/海上/航空自衛隊に分け、それぞれがもつ考えをまとめることで、自衛隊という組織の特徴をあぶり出してみるのはどうでしょうか。

確かにそういうやり方もありますが、それでは残念ながら自衛隊という組織の表面しか見ることができません。

どういうことかというと、自衛隊は設立から約70年程経っていますが、その間、日本は戦争を経験していません(専門用語で言うと防衛出動が発令される事態)。もちろん、全く何もなかったわけではなく、国連平和維持活動(PKO)への参画や、災害時の救援、または復興支援などの非常時対応はあります。しかし、参加したのは自衛隊の一部であるため、自衛隊を総動員するような非常事態ではありません。

つまり、約70年間 平時の状態であったとでいうことです。

 

では、どうやって自衛隊という組織の特徴をあぶり出すか。

人についてよく言われることですが、非常事態にその人の本性が現れます。

自衛隊も人の集合体である組織であり、非常事態、つまり戦争状態になればその特徴があぶり出されるはずです。

ただし、先ほど述べたように自衛隊は70年間、戦争を経験していません。そこで、過去へ遡り、太平洋戦争時の旧日本軍から、組織の特徴をあぶり出し、それを自衛隊という組織へ敷衍することで、自衛隊という組織の特徴をあぶり出したいと思います。

 

ここで、旧日本軍の特徴を自衛隊のもつ組織の特徴と考えてよいかということが問題になります。当然、時代背景が違うため、まったくイコールで考えることはできません。しかし、ある程度の傾向はとらえられるのではないかと思います。

 

なぜかというと、自衛隊前身の警察予備隊設立時に旧日本軍の軍人もかかわっているからです。兵器を扱う近代的な軍隊の様相を呈する組織を作るとなれば、たとえ旧日本軍が日本を壊滅的な状況へと導いた元凶だとしても、すぐ目の前にお手本があるのに、参考にしない手はありません。というか完全にズブの素人集団で組織運営や兵器の運用をするには無理があります。上記のような経緯から、自衛隊には旧日本軍の組織としての特徴の名残が100%ではないにせよ、反映されているはずです。

 

では太平洋戦争という非常事態における、旧日本軍の組織の特徴をあぶり出していきたいと思います。

 

(次回へつづく)

自衛隊のことを調べてみたら日本の組織の強みと弱みが分かってしまった件②


俗物太郎です。

 2.自衛隊と米軍の比較

前回自衛隊の設立の経緯を説明しました。

では続いて、自衛隊の現在の立ち位置を確認するためにも、どれくらいの保持戦力を持っているのでしょうか?それを調べるため、アメリカの軍事力評価機関「Global Fire Power (GFP)」の2017年のランキングを参考にしてみたいと思います。

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自衛隊とアメリカ軍の保持戦力比較(Global Fire Power 2017を元に加工)


この表からざっくりと下記のことが言えると思います。


①日本は平和憲法を掲げているものの、世界的に見て防衛にかなりお金をかけている
(約5兆円 1ドル112円換算 2017年12月15日時点)
②アメリカ軍の防衛費はケタ外れに高い(約66兆円 日本の13倍)

 

アメリカはトランプ政権になり、アメリカファーストという保護主義に傾きかけているとはいえ、防衛費で見ると、まだまだ世界の警察たらんとするレベルを維持しているといえます。

 

ちなみにGrobal Fire Power 2017年のランキングには載っていませんが、今後軍事力を測る指標として、軍のサイバー人員数や、宇宙開発力(人工衛星の数など)、ドローン兵器数、AIの開発力なども出てくると思います。これからの戦争は、起こるかどうかは別として、人が重火器を操作してドンパチするよりは、テクノロジーを駆使し、まずはサイバー攻撃で相手の力を無力化し、その後無人兵器でピンポイントに人だけを攻撃し、建物の被害はほとんど無いというような、静かなものになっていくような気がします。

 

また、サイバー対応については、軍事面に特化している訳ではありませんが、国際電気通信連合(ITU)が発表しているGCI(Global Cybersecurity index)という指標が参考になります。この指標の2017年版で見るとアメリカは2位で、日本は11位です(ちなみに1位はシンガポール)。やはりアメリカは日本にとっていつも見上げる存在です。

 

今回、自衛隊の保持戦力のデータを見て僕が何を言いたいかというと、後の説明にも関わってくるのですが、日本を保持戦力だけでなく、広い意味でリソーセスという観点でみてみると、世界ではそこそこ上位にいるものの、十分ではないということです。
もっと端的に行ってしまうと、日本は常にリソーセス不足がつきまとっている国であるということです。

 

話は脱線しますが、各国の保持戦力を日本、アメリカ以外も注目してみると、興味深い点がいくつかあります。1つは中国の軍事力です。国力と保持戦力は関係があると言いますが、GFPによると中国の保持戦力は3位、防衛費は世界第2位です(約18兆円)。さらに保持戦力の世界第2位はロシアで、第4位はインドがランクインしています。

 

このことから、保持戦力に加え、経済力も加味して世界を俯瞰してみると、今はアメリカとロシアがかつての冷戦時代の名残で、お互い世界に強い影響力を与えていますが、近年、さらに今後の経済成長を考慮すると、いずれ中国の軍事力がロシアを上回ることは間違いありません。そして、中国に追随してインドの影響力も拡大していくでしょう。

 

つまり、中期的に見ると世界は、アメリカ、中国、ロシアの三つ巴から、インドを加えた四つ巴のパワーバランスで均衡を保っていくことになると思います。
結構話が脱線してしまいましたが、保持戦力の観点から、自衛隊の立ち位置が分かったところで、次回から本題である、組織としての自衛隊の話に入っていきたいと思います。

 

(次回へ続く)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自衛隊のことを調べてみたら日本の組織の強みと弱みが分かってしまった件①

どうも俗物太郎です。

 

北朝鮮のミサイル発射のニュースが世間を騒がしており、日本の安全保障についての関心が高まって来ています。また、中国の国力増加に伴い、尖閣諸島を含めたアジア周辺における軍事行動は、日本のネトウヨ勢を刺激し、そこから派生する日本全体にじわじわ拡がりつつあるプチ右傾化は、反中国感情を醸成するとともに、転じて日本スゲー論を促進する土壌を形成していると思います。

 

テレビ番組や、雑誌、ネットなども「本当はスゴい日本の○○」などのタイトルが踊ることが目に付くことが多くなりました。

 

僕自身、自衛隊について何気なくネットを見ていたところ、やはり自衛隊を話題にした日本スゲー論を目にしました。

具体的に言うと、「戦車訓練での自衛隊の命中精度に米軍が驚愕した」や「戦闘機パイロットのレベルの高さに、米軍パイロットをして二度と自衛隊パイロットと訓練はしたくないと言わしめた」などのネタがあり、特に右寄りの自覚がない僕も、思わず日本人としてのプライドをくすぐられ、日本スゲー論の自衛隊版の魅力に片足が浸かってしまいました。

 

そんな自衛隊についての興味がパンプアップされた状態だったものだから、自衛隊の持つ長所を組織の観点から紹介してみたら面白いのではないかと思いました。そして、もう少し踏み込んで調べてみたところ、どうもこれはそう単純にはいかなそうだ気づきました。

 

どういうことかというと、ただ単純に日本スゲー論の文脈に乗っかり、今まであまり意識していなかった自衛隊の長所を紹介するだけで、記事としてこと足りるかと思っていたところ、同時に如何ともしがたい弱みも知ってしまい、そしてそれが、自衛隊だけでなく、企業など日本の組織そのものにも通底する根源的なものだと気づいてしまったからです。

 

そのため、自衛隊という組織の長所だけを説明してお茶を濁すわけにはいかなくなってしまいました。

 

ともあれ、今回のテーマは以下のような流れで進めていきたいと思います。

 また、記事を区切りながら進めていきますので、気長にお付き合いください。

 

1.自衛隊の概要

2.自衛隊と米軍の比較

3.太平洋戦争の歴史に学ぶ

4.日本の組織の強みと弱み

5.昨今の日本経済における事例

6.今後どうしていけば良いか

 

1.自衛隊の概要

 

さて、まず自衛隊の概要から始めていきたいと思いますが、僕自身、恥ずかしいことに自衛隊が、そもそもどういう経緯で出来たのかしっかり理解していませんでした。

 

 そんな中、まず最初に疑問として浮かぶのは、日本は太平洋戦争で米国に負け、平和憲法を作り、武力持たないことにしたのに、なぜ軍隊のような自衛隊がいるのだろう?ということです。

 

調べてみると1950年の朝鮮戦争を機に、GHQの指令に基づき組織された警察予備隊が前身とありました。設立の背景は、朝鮮戦争によって米軍が朝鮮に兵力を集中させる必要があり、その際、米国が日本の防衛をする余裕がなくなってしまうため、日本に自分で自国を守らせる必要があったからでした。

さらに、警察予備隊GHQの指示に基づいているため、国会にも諮られず設立されています。

これは簡単にいうと、自衛隊の前身である警察予備隊は、敗戦国である日本が戦勝国であるアメリカの都合によって作らさせられた部隊ということです。

 

恐らく、この警察予備隊が、半ばなし崩し的に発足してしまったことが、日本国憲法という枠組みの中で、自衛隊の立ち位置について未だに議論がまとまらない大きな要因だと思います。

 

ただし、今回のテーマで自衛隊の存在の是非を問うつもりはありません。あくまで、現に存在する自衛隊という組織そのものに着目して、話を進めていきたいと思います。

 

次回は自衛隊の保持戦力から続けていきたいと思います。

 

 (次回へ続く)

深夜アニメはキモい なぜいつまでも市民権を得られないのか ⑩

俗物太郎です。

 

前回、日本のアニメ界は、力量のあるプロデューサー、監督がおらず、両者のシナジーを駆動力とする制作会社もないという、ないない尽くしの状況であると説明しました。


ここで、一つの洞察として、適切な例かはともかく、太平洋戦争におけるアメリカと日本の戦争に対する考え方と対応が、アニメなどのコンテンツ業界に表れていることを挙げたいと思います。

どういうことかというと、アメリカは戦争は人に頼るのではなく、システム全体で構造的に捉えるものであり、圧倒的な生産力を背景に、当時有効な戦術だった空母を起点とする航空戦に力を入れていました。

一方、日本は生産力がなかったため、個々の指揮官や、戦闘機乗りや、それを整備する整備士などの人の能力や職人技に頼り、それらの人々を「八紘一宇」「一億総火の玉」という作戦というよりは精神論でまとめ上げていました。

もう少し抽象的にいうと、「構造的に勝ちを取りに行くアメリカ」と、「精神論と職人技の総体で勝てる筈だと思って勝負をする日本」という対比構造が表れます。 

 

この構図は、アニメを始めとしたコンテンツ業界だけではなく、アメリカと日本を比べる時の切り口として、いろいろな場面で応用できると思います。

 

話が飛んでしまいました。そんな、ないない尽くしの日本のアニメ業界ですが、これから、大きなビックウェーブがやってくると僕は考えています。


それは2つあります。
1つは、Netflixなどのインターネット動画配信サイトの台頭。もう1つは、日本のアニメを見て育った、海外の新たな世代の台頭です。

1つ目について説明します。Netflixなどの動画配信サイトは月額の課金制であり、この資金を使って独自のコンテンツを制作し始めています。それによって、現在主流であの製作委員会方式のような、コンテンツの権利が分散することもなく、独占することができます(アニメとは全く関係ないですが、DMMの独占配信作品のようなものです)。

この豊富な資金は、制作費で苦労している制作会社にとっても嬉しいものであるため、今後の流れはネット配信サイトにシフトしていくのではないかと考えられます。Netflixなどの動画配信サイトは日本のアニメ界にとって黒船のような存在かもしれません。

 

もう1つは、日本のアニメを見て育った海外世代の台頭です。台頭してくるには理由があります。

以前説明したように、現在多くのアニメ作品が、労働集約的な動画制作の部分を、低賃金なアジアの国へ委託しています。これによって海外のアニメ制作会社の技術のレベルが自然に上がっていきます。さらに、テクノロジーの進化により、これまでセル画アニメの制作現場にあった、職人の世界のような、技術は盗めという世界から、技術は学んで行くものという世界に移行しています。


アニメ制作技術が盗むものから学ぶものに変わったことで、どの国でもコツコツと技術を積み上げていくことができるようになり、セル画の職人技を大量に蓄積している、日本のアニメ制作会社の優位性は相対的に低下していきます(もちろん、これまでのノウハウの蓄積があるので、優位であることに変わりありませんが)。ざっくり言うと、どの国でも、自国でコツコツと技術を学んで行けば、それなりのアニメが作れる時代になったということです。


そういった状況で技術を蓄積し、かつ、日本のようにアニメ界の偉大な先人のしがらみを受けることもない、例えば中国や韓国などから、とんでもない逸材が大傑作を産む可能性は十分にありえます(電気業界で、サムスン半導体で日本のシェアを覆したように)。

 

また、上記の新しい世代が1つ目のNetflixなどの黒船とタッグを組んだら、ビックウェーブはさらに大津波となって、日本のアニメ界を完全に飲み込んでしまうかもしれません。


ないない尽くしの日本のアニメ界は、知らない間に危機的な状況に立ってしまっているのです。


ただし、それだけのビックウェーブがくるということは、日本のアニメ界にとって、さらなる発展のチャンスとも言えます。

突き放して見ると、一視聴者にとって、アニメをどこの国が作ろうが作品として面白ければ、それで十分です。とはいうものの、アニメは日本が持つ世界に誇れるコンテンツであるため、本家本元として、この変革を受け止め、さらなる発展を期待してしまうのが人情です。


当初のタイトルから、大きく逸脱した内容になりましたが、僕自身、今は全くアニメを観なくなってしまったものの、かつてどハマりしていた身として、日本のアニメがこのまま黒船に飲み込まれないか不安です。

一方、今後の大きな変革によって観たいと思うアニメが出て、かつてのハマっていた頃に引きもどされるのも、それはそれで良いかという期待もあります。

そんな不安と期待が入り混じるこれからのアニメ界の動向を、横目で見るだけでなく、しっかりと正面から見ていきたいと思います。

 

以上で今回のテーマを終わります。