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海外MBA留学したい、刃牙大好き、ちなみに嫁とはセックスレス

深夜アニメはキモい なぜいつまでも市民権を得られないのか ⑩

俗物太郎です。

 

前回、日本のアニメ界は、力量のあるプロデューサー、監督がおらず、両者のシナジーを駆動力とする制作会社もないという、ないない尽くしの状況であると説明しました。


ここで、一つの洞察として、適切な例かはともかく、太平洋戦争におけるアメリカと日本の戦争に対する考え方と対応が、アニメなどのコンテンツ業界に表れていることを挙げたいと思います。

どういうことかというと、アメリカは戦争は人に頼るのではなく、システム全体で構造的に捉えるものであり、圧倒的な生産力を背景に、当時有効な戦術だった空母を起点とする航空戦に力を入れていました。

一方、日本は生産力がなかったため、個々の指揮官や、戦闘機乗りや、それを整備する整備士などの人の能力や職人技に頼り、それらの人々を「八紘一宇」「一億総火の玉」という作戦というよりは精神論でまとめ上げていました。

もう少し抽象的にいうと、「構造的に勝ちを取りに行くアメリカ」と、「精神論と職人技の総体で勝てる筈だと思って勝負をする日本」という対比構造が表れます。 

 

この構図は、アニメを始めとしたコンテンツ業界だけではなく、アメリカと日本を比べる時の切り口として、いろいろな場面で応用できると思います。

 

話が飛んでしまいました。そんな、ないない尽くしの日本のアニメ業界ですが、これから、大きなビックウェーブがやってくると僕は考えています。


それは2つあります。
1つは、Netflixなどのインターネット動画配信サイトの台頭。もう1つは、日本のアニメを見て育った、海外の新たな世代の台頭です。

1つ目について説明します。Netflixなどの動画配信サイトは月額の課金制であり、この資金を使って独自のコンテンツを制作し始めています。それによって、現在主流であの製作委員会方式のような、コンテンツの権利が分散することもなく、独占することができます(アニメとは全く関係ないですが、DMMの独占配信作品のようなものです)。

この豊富な資金は、制作費で苦労している制作会社にとっても嬉しいものであるため、今後の流れはネット配信サイトにシフトしていくのではないかと考えられます。Netflixなどの動画配信サイトは日本のアニメ界にとって黒船のような存在かもしれません。

 

もう1つは、日本のアニメを見て育った海外世代の台頭です。台頭してくるには理由があります。

以前説明したように、現在多くのアニメ作品が、労働集約的な動画制作の部分を、低賃金なアジアの国へ委託しています。これによって海外のアニメ制作会社の技術のレベルが自然に上がっていきます。さらに、テクノロジーの進化により、これまでセル画アニメの制作現場にあった、職人の世界のような、技術は盗めという世界から、技術は学んで行くものという世界に移行しています。


アニメ制作技術が盗むものから学ぶものに変わったことで、どの国でもコツコツと技術を積み上げていくことができるようになり、セル画の職人技を大量に蓄積している、日本のアニメ制作会社の優位性は相対的に低下していきます(もちろん、これまでのノウハウの蓄積があるので、優位であることに変わりありませんが)。ざっくり言うと、どの国でも、自国でコツコツと技術を学んで行けば、それなりのアニメが作れる時代になったということです。


そういった状況で技術を蓄積し、かつ、日本のようにアニメ界の偉大な先人のしがらみを受けることもない、例えば中国や韓国などから、とんでもない逸材が大傑作を産む可能性は十分にありえます(電気業界で、サムスン半導体で日本のシェアを覆したように)。

 

また、上記の新しい世代が1つ目のNetflixなどの黒船とタッグを組んだら、ビックウェーブはさらに大津波となって、日本のアニメ界を完全に飲み込んでしまうかもしれません。


ないない尽くしの日本のアニメ界は、知らない間に危機的な状況に立ってしまっているのです。


ただし、それだけのビックウェーブがくるということは、日本のアニメ界にとって、さらなる発展のチャンスとも言えます。

突き放して見ると、一視聴者にとって、アニメをどこの国が作ろうが作品として面白ければ、それで十分です。とはいうものの、アニメは日本が持つ世界に誇れるコンテンツであるため、本家本元として、この変革を受け止め、さらなる発展を期待してしまうのが人情です。


当初のタイトルから、大きく逸脱した内容になりましたが、僕自身、今は全くアニメを観なくなってしまったものの、かつてどハマりしていた身として、日本のアニメがこのまま黒船に飲み込まれないか不安です。

一方、今後の大きな変革によって観たいと思うアニメが出て、かつてのハマっていた頃に引きもどされるのも、それはそれで良いかという期待もあります。

そんな不安と期待が入り混じるこれからのアニメ界の動向を、横目で見るだけでなく、しっかりと正面から見ていきたいと思います。

 

以上で今回のテーマを終わります。

 

深夜アニメはキモい なぜいつまでも市民権を得られないのか ⑨

俗物太郎です。

 

 

5.まとめ

 

さて、これまでなぜ深夜アニメはキモいのか、下記3つの観点から説明しました。

 

①作品がキモい

②ファンがキモい

③声優がキモい

 

キモい理由は「一部の深夜アニメとそれを取り巻く特別な環境(声優を媒介者とするキモい作品とキモいファンを繋ぐエコシステム)がファンによって世間へ拡がってしまったため」と結論付けました。もっとくだけた言い方をすれば、「深夜アニメのキモい部分だけが世間に広まってしまった」ということになります。

 

次に、キモくないアニメに必要なものとして下記2点が重要だと説明しました。

 

①統一した世界観を世間に対して訴求できるプロデュース力

②キモいキモくないなどの既存の価値観を突き抜ける、監督のアニメに対する情念を超えた怨念

 

つまり、プロデューサーと監督の力量次第でキモさはなくなるということです。さらに言えば、先回説明しましたが、マーベルのようにプロデューサーが統一した世界感を保つために作品横断で目を光らせ、気概を持った個性的な監督が前作のストーリーによる縛りを超克していく作品作りをすれば、世界的にヒットする可能性があるということです。

 

以上を踏まえた上で、現在の日本において、プロデューサーや監督の力量についてはどうでしょうか。

 

プロデューサーについて、⑦(前々回)で挙げた「君の名は。」を海外含めてヒットさせた川村元気氏がいます。他に思いつく有名なプロデューサーはジブリ鈴木敏夫氏がいますが、そんなところではないでしょうか。

 

監督についても、現役でヒットアニメ作品を出している凄い監督ほとんどいないように思われます。思いつくのは、エヴァ庵野監督くらいです。現役(今現在アニメを作っている)監督で、アニメに対して怨念レベルの思いを持っているのは庵野監督以外に見当たりません。

 

これは僕の勝手な推論ですが、アニメの一時代を築いてきた、上の世代の監督達が偉大過ぎて、現役のアニメ監督は、その長老達に遠慮してしまって、スケールの大きな作品を作るのを躊躇しているのではないでしょうか。先人が偉大すぎると気持ちとして、チャレンジャーになるよりは、フォロワーになりやすいかもしれません。偉大な先人達としては、宮崎駿を代表に、「ガンダム」の富野由悠季、「アキラ」の大友克洋、「攻殻機動隊 」の押井守らがいます。

 

力量のあるプロデューサーと監督が不足している状況に加え、日本のアニメでマーベル作品のように作品横断で世界観を統一し、かつ前作のストーリーを超克していくような作品群とそれを作る制作会社はまだありません。

 

といってもそれに近しいものは日本にもあります。

例えば、作品群として挙げるならば、ガンダムシリーズがあります。しかし、実際は作品名にガンダムとついているだけで、作品間のつながりがあるようには見えません。また、マーベルのケヴィン・ファイギのように作品横断で世界観の統一に目を光らせている人がいるようにも見えません。

では、ジブリ作品はどうでしょうか?鈴木敏夫という一流のプロデューサーに、宮崎駿という稀有な才能を持つ監督もいます。ただし、マーベルのように世界でコンスタントにヒット作品を生み出しているかというとそうでもありません。

 

それは、作品が宮崎駿頼みになってしまい、1、2年のスパンで作品を作ることが難しいことと、1人の人間が作り続けることによる、先鋭化(難解で一般受けし難い作品になって行く)があります。

ちなみに、ジブリにはもう1人、高畑勲という稀有な才能を持つ監督や、他の若手監督もいますが、そもそも高畑勲は寡作の監督ですし、他の監督の場合は、やはり宮崎や高畑と比べると物足りなさを感じます。

 

要するに、ジブリ作品は特定の人頼みで制作される構造であり、マーベル作品のようにヒーローの数だけ、続編を含めて作品を生み出せる構造ではありません。例えていうとジブリはレジェンド級の4番打者が1人いる野球チームで、マーベルは各チームの4番打者を沢山集めた野球チームです。

 

レジェンド級の4番打者は高い確率でホームランを打ちますが、ホームランの数でいったら4番打者を沢山集めたチームの方が確率的には多くなります。そして、長期的な視点に立てばレジェンド級の4番打者も徐々に衰えていったり、独自の道を追求し過ぎてそのうちホームランを打てなくなってきますので、新しい4番打者を入れ替え、新陳代謝を繰り返すチームの方がホームラン数(作品のヒット数)は多くなります。

 

また、アニメではありませんが、マーベル作品に近いものとして、日本のヒーローものがあります。ウルトラマン仮面ライダーなどです。ただし、これらは子供向けてに作られていたり、テレビシリーズのため一話一話の予算が限られているため、マーベル作品のように幅広い年代に訴えるストーリーや、ド派手な演出をふんだに織込むことはできません。

 

つまり日本はマーベル作品のようにプロデューサーと監督が一体となり、統一された世界感を持ち、莫大な制作費を注ぎ込んだ作品群とそれを作る制作会社がありません(なんとかジブリがこれに近いが、宮崎駿という才能がいなくなった後は崩壊しそうな気がします)。

 

力量のあるプロデューサーや監督がおらず、両者のシナジーを駆動力とする制作会社もないため、今の日本のアニメ界はないない尽くしの状況と言えます。

 

(次回へ続く)

 

 

深夜アニメはキモい なぜいつまでも市民権を得られないのか ⑧

俗物太郎です。

 

⒋キモくなくなるには何が必要なのか?

 

前回、どんなアニメがキモくないのか?の説明として、「君の名は。」と「ジブリ映画」を事例に挙げ、以下の2点が重要であることを述べました。

 

①統一した世界観を世間に対して訴求できるプロデュース力

②キモいキモくないなどの既存の価値観を突き抜ける、監督のアニメに対する情念を超えた怨念

 

上記はどちらか1つでもあれば、キモくないアニメは成立します。さらに、2つ合わされば後世に残る偉大な作品になります。

 

さて、ここで作品がキモくなくなるには何が必要かという観点で、もう1つ事例を紹介したいと思います。アニメではありませんが、アニメに近いものです。それは何かというと、世界でヒット作を連発しているマーベル映画です。

 

マーベル作品について、特に説明の必要はないかもしれませんが、「アベンジャーズ」や「アイアンマン」、「インクレディブル・ハルク」、「キャプテン・アメリカ」など、どれか1つくらいは名前を聞いたことがあると思います。

マーベル作品はもともとアメコミという2次元の作品が原作であるため、アニメ作品とは近い立ち位置にいると言えます。

 

マーベル映画は、09年にディズニーに買収された後、アベンジャーズの世界的大ヒットを皮切りに、大ヒット作を連発しています。

どれくらいかというと、アベンジャーズの興行収入は15億ドル(約1,600億円)で世界歴代5位の興行収入です。以降、「アベンジャーズ  エイジ・オブ・ウルトロン」(14億ドル 約1,500億円)、「アイアンマン3」(12億ドル 約1,300億円)、「シビル・ウォー キャプテン・アメリカ」(11億ドル 約1,200億円)と、世界歴代興行収入ランキングTOP20入る大ヒット作品を世に出しています。

 

ちなみに、日本映画の歴代興行収入1位である「千と千尋の神隠し」の興行収入が、約300億円ですから、アベンジャーズはその5倍も稼いでいることになります。これは日本だけでどんなに大ヒットしても絶対に追いつけないという、とんでもない数字だということが分かると思います。

 

では、キモくないアニメに必要な要素として、マーベル作品は一体何を持っているのでしょうか?

それは下記です。

・プロデューサーのケヴィン・ファイギ氏(マーベル・スタジオ製作社長)が作品同士の世界観の統一性に目を光らせている

・個性的な監督が、その作品にとって最も面白くなるようなアイデアを盛り込んで製作する

 

1つ目は何を意味するかというと、マーベルの作品にはアイアンマンを始め、さまざまなヒーローが登場します。これらのヒーローはアベンジャーズで皆が一堂に会したように、同じ世界に生きています。

これらのヒーローが自身の作品で活躍し、かつ他のヒーローが登場する作品のストーリーとも大きな齟齬が生まれないよう、ケヴィン・ファイギ氏が作品の横並びで目を光らせ、世界観を含めて統一感を保っているのです。

 

2つ目については、例えばあるヒーローをテーマにした作品の続編を作る場合、前回のストーリーとの連続性を保って続編を作るのはもちろんですが、そこでさらなる続編のことも考え、無難な作品にすることなく、作品を一番面白くなるための大胆な変更も許容することを意味します(例: 主要キャラクターに起こる大きな変化など)。大胆な変更があると、次回作を作る監督はそれに縛られて製作に苦労することになりますが、それよりマーベルは今ある作品の面白さを最優先します。

 

そのような前作の縛りを乗り越えて面白い作品を作るため、強烈な個性を持った監督を起用し、見事縛りを乗り越えることで、多くの続編作品のもつ陥穽にはまることなく、続編でのさらなるヒットを実現させているのだと思います。

このように作品を横断した世界観の統一と、前作の縛りを乗り越えていく個性的な監督の登用によって、マーベル作品はヒーローの数だけ面白い作品を世に出し、ヒットを連発していると考えます。

 

そして、上記はまさに、冒頭に述べたキモくないアニメに必要な2つの重要な要素(下記)とも共通しています。

①統一した世界観を世間に対して訴求できるプロデュース力
②キモいキモくないなどの既存の価値観を突き抜ける、監督のアニメに対する情念を超えた怨念

 

日本のアニメ作品にとって、マーベル作品のヒットは大いに学ぶところがあります。

 

ちなみにアメコミでマーベルと肩を並べるもう1つのレーベルである、

DCコミックスも、マーベルのヒットにならってなのか、アベンジャーズのような同一の世界観でヒーローが共演する「ジャスティス・リーグ」(2017年11月公開予定)を製作しています。

 

(次回へつづく)

 

 

 

 

 

深夜アニメはキモい なぜいつまでも市民権を得られないのか ⑦

俗物太郎です。

 

3.キモくないアニメとは?

 

これまで、深夜アニメがキモい理由を説明してきました。では僕が考えるキモくないアニメとはどんなものか?最近の作品と、もう少し古い作品を例に説明したいと思います。

 

まず、最近のキモくないアニメの事例として、「君の名は。」を取り上げたいと思います。

ハリウッドで実写化される予定だそうですが、日本だけでなく、海外でも公開され、話題になりました。ちなみに、興行収入は日本歴代5位の240億円です。

また、若者に支持の高いRADWIMPSの曲を主題歌に起用したことも話題になりました。君の名は。は若者を中心に多くの人に受け入れられており、キモいアニメというより、むしろイケてるアニメと言えるかもしれません。

この映画のヒットの立役者として活躍したのが、映画プロデューサーの川村元気氏です。過去に「電車男」、「モテキ」、「宇宙兄弟」など、数々の映画をプロデュースし、ヒットさせています。今、ノリに乗っている映画プロデューサーと言えます。

 

君の名は。がキモくない理由は、主題歌を含め、若者をターゲットにした統一感のある世界観であり、これは、プロデューサーの力によるところが大きいです。

 

続いて、過去の作品でキモくないアニメの事例は、お馴染みジブリ映画です。「千と千尋の神隠し」は、日本の映画の歴代興行収入の1位の座に燦然と輝いています(興行収入 308億円)。

 

これほどジブリが世間に浸透した理由として、君の名は。と同様、プロデューサーの鈴木敏夫氏の功績も大きいと思いますが、それよりも監督の宮崎駿によるものの方が大きいと僕は考えます。世界で最もポピュラーなアニメ映画の1つである、トイストーリーシリーズの監督ジョン・ラセターも、宮崎駿から大きな影響を受けています。

いまさら僕があえて宮崎駿の偉大さを説明しなくても良いでしょう。

ここで僕が言いたいことは何かと言うと、キモくないアニメにはプロデューサーの力による場合もあれば、監督の力による場合もあるということです。

では、どういう場合が監督の力によって作品がキモくなくなるのか?

それは、監督のアニメに対する思いが、「情念」ではなく、「怨念」レベルにある場合です。

別の言い方をすると、監督の個性が強すぎてキモいとか、キモくないとかいう価値観を突き抜けてしまっている場合です(情念が作品に反映されると、一部の深夜アニメのようにキモくなってしまいます)。

ちなみに宮崎駿監督の他に僕が考える、怨念を持った監督は、ガンダムの富野監督やエヴァンゲリオン庵野監督です。

ガンダムエヴァンゲリオンも 一部分を切り取ればキモい部分も確かにあります。しかし、現在の世間への浸透度を考えれば、どちらも十分に市民権を得ている作品であり、そんなことは作品の価値を毀損するレベルではなかったと言えます。

これは、監督のもつアニメに対する怨念が、世間のもつキモい or キモくないなどという、既存の価値観に勝利したということです。

 

以上、キモくないアニメの事例について説明しました。次回以降も述べていきますが、キモくないアニメにとって重要な点は以下の2つだと僕は考えます。

 

①統一した世界観を世間に対して訴求できるプロデュース力

②キモいキモくないなどの既存の価値観を突き抜ける、監督のアニメに対する情念を超えた怨念

 

次回は、アニメではありませんが、キモくないアニメに必要なものを持っている、好事例をもう1つ紹介したいと思います。

 

(次回へ続く)

深夜アニメはキモい なぜいつまでも市民権を得られないのか⑥

俗物太郎です。

 

2.なぜ深夜アニメはキモいのか?

 

③声優がキモい

先回②でキモいファン(アニメプリントシャツを着た人や、可愛くないのにコスプレをしている人)が広告塔となり、深夜アニメ全体にキモいイメージを宣伝してしまっていると書きました。

 

では、声優はどうでしょうか。最初に結論を言うと、キモい作品とキモいファンと媒介者となる時にキモくなるです。

その前に昨今の声優について言及させて下さい。声優のルックスレベルはひと昔前よりもかなり上がって来ており、アイドルと変わらないような声優もいます。

これを市場原理から説明したいと思います。声優は多くの場合、声優事務所に所属しています。声優事務所は営利団体であり、声優の出演料だったり、ライブなどのイベントのチケット収入や、それに伴う物販(CD、DVD含む)で収入を得ています。そして、収入の額でいうと、おそらく、出演料よりライブの収入の方が圧倒的に大きいと思われます。

そうなると、事務所としてはライブなどのイベントで稼げそうな、ルックスの良い声優を抱えておきたいはずです。また、水樹奈々などの活躍によって、ひと昔前に比べたら、声優の認知度が上がっているはずですので、志望者も増えることによって、その中から選ばれる人のクオリティも上がります。

つまり、昨今の声優は、声優事務所の方針と、声優志望者の裾野が広がったことにより、ルックスレベルが上がっているのです。

 

それにも関わらず、声優がキモい作品とキモいファンの媒介者となる時にキモくなるということはどういうことでしょうか。

実はこれも市場原理によって説明できます。

 

作品にファンがいるということは、その作品に出演している声優のファンも必ず一定数います。ということは、声優に対する需要が産まれ、作品とファンの間に声優を介した一定の市場が形成されます。

そうなると、需要と供給の関係から、声優はファンの需要に何らかのイベント、例えばトークライブやミニライブで応えることになります。

ここまでは、良いと思いますが、では仮にあるアニメ作品のトーク&ミニライブをやった場合、その中身はどうなるでしょうか。

そもそも声優は、毎期何十本も制作されるアニメに対し、本業の声優の仕事をこなさなければならないため、出演している個々の作品について深く入り込むのは難しいという点があります。

そのため、作品についての込み入った話はできないと推察します。そうなると、作品に入れ込んでいるファンに対しては物足りないけれど、出演している声優のファンにとっては、作品が何であろうと、声優を生で観られたのだから良いという、何となくちぐはぐなイベントになってしまいます。

 

つまり、声優の存在により、キモい作品のキモいファンの需要を満たすための、言葉は悪いですが中途半端なイベントが実施されてしまうことになります。

そういった、キモいファン向の需要を満たさなければならない場合において、声優はキモい存在になるのです。

違う言い方をすると、キモい作品があり、キモいファンがいる。そして、その2者を繋ぐ媒介者である声優もキモいということです。

需要と供給の関係により、声優は上記のような媒介者の役割を担わざるを得ないというのは、そういう商売をやっている以上、仕方がない点もあります。

僕が言いたいのは、声優の存在によってキモい作品とキモいファンを繋ぐエコシステムが産み出されるということです。これは、作品が変わっても、また同じように再生産されていきます。

 

「なぜ深夜アニメはキモいのか」という初めの質問に対し、それぞれ下記3つの要因に分けて説明してきました。

①作品がキモい:一部の作品は妄想の産物になり得るため

②ファンがキモい:コスプレをする人も含めて、見た目がキモい人が広告塔となり、深夜アニメ全体に対し、キモいというイメージを世間に宣伝してしまっているため

③声優がキモい:キモい作品とキモいファンを媒介し、エコシステムを生み出しているため

 

上記をまとめると、最初に述べたように、「なぜ深夜アニメがキモいのか?」という質問に対する僕の答えは「一部の深夜アニメと、それを取り巻く特別な環境がファンによって世間へ拡がってしまったため」

 

ちなみに、上記の「それを取り巻く特別な環境」というのは、声優を媒介者とするキモい作品とキモいファンを繋ぐエコシステムのことです。

 

次回へ続く

深夜アニメはキモい なぜいつまでも市民権を得られないのか⑤

俗物太郎です。

 

2.なぜ深夜アニメはキモいのか

 

②ファンがキモい

 

先回の①作品がキモいでは、美少女をメインキャラクターにした、一部の深夜アニメの中には、妄想の産物になりえる作品があり、それがキモいという説明をしました。

 

では、そんな作品を好むファンはどうか?

当然キモいという結論になるのですが、断っておくと、どんな作品であっても、作品が好きであるということは、その人の自由であり、僕は作品とファンの関係性自体を否定するつもりはありません。あくまで、一部の深夜アニメファンの何がキモいのかを説明するのが目的です。

妄想の産物を好むファンは、自身もすべからく妄想に囚われていることが多いです。

ここでキモいファンを下記の2種類に分類して、どういう点がキモいのかを説明したいと思います。

■消費型のキモいファン

■実践型のキモいファン

 

■消費型のキモいファン

消費型のキモいファンとは、作品を楽しみ、その作品にまつわる関連商品を買ったり、または、出演している声優のライブに行ったりする、いわゆる普通のファンです。大多数のキモいファンがこの消費型に分類されます。

消費型のキモいファンは何がキモいのか?それは主に見た目です。キモいアニメを好んでいる時点で、その人はすでに妄想に囚われています。妄想に囚われてる人は、自分を客観的に見ることが苦手です。すると、服装や身だしなみに無頓着になりがちになります。

分かりやすいのは、髪はボサボサ、無精ヒゲ、ヨレヨレのTシャツに、ボロいジーンズだったりする見た目に無頓着な人です。

一方、アニメキャラクターがデカデカとプリントされたTシャツを着ていたり、または、独自のセンスが芽生えて、太い筆文字で恥ずかしい言葉が書かれているTシャツ(実際見たことはありませんが、例えば「俺は妹しか愛せない!」というような恥ずかしい言葉が書かれたTシャツなど)を着たり、穴開きグローブを着用していたりと、一般の基準からかけ離れているという意味での、見た目に無頓着な人もいます。

 

そういう人の周りには、そもそも人が寄り付かないか、もしくは、その人と同じように見た目に無頓着な人である確率が高いため、その人が一般の基準から乖離し、キモくなっていることを指摘してくれる人はいません。

また、この消費型のキモいファンの特徴は、購買力があるという点があります。身だしなみや服装を気にしないため、洋服にお金をかけたりしません。そうすると、お金が浮くため、そのお金を自分が好きな作品の関連商品につぎ込んだり(※1)、声優のライブにつぎ込んだりします。

このキモいファンの購買力が、後述しますが、「キモい作品」→「キモいファン」→「キモい声優」の3者によるエコシステムを形成する温床となっています。

 

■実践型のキモいファン

実践型のキモいファンというのは、消費型と異なり、作品を楽しむだけではなく、自ら作品の世界を拡げていく人達のことです。具体的にいうと、同人誌を描いたり、コスプレをする人達です。ここでも、断っておきますが、僕は同人誌やコスプレ自体を否定している訳ではありません。なぜなら、これらも、形は違えど作品への愛着の表れであり、やはり個人の自由だからです。あくまでキモい作品における、キモいファンとは、何がキモいのかという視点で説明していきます。

まず、キモい作品の同人誌を描く人は、そもそも作品がキモいのですから、同人誌においてキモさが増幅されることはあっても、減少することはありません。なので、問答無用でキモいため、これ以上言及しません。

では、もう一方のコスプレをするファンのキモさとは何か。実はこれも、消費型のキモいファンと同じで、見た目がキモいです。

みなさんも見たことがあるかもしれませんが、全然格好良く、もしくは可愛くもないのに、コスプレをして衆人環境の前に登場してしまう人がいます。なぜこういうことができてしまうのでしょうか。それは2つの要因があると思います。

 

1つは自身が妄想に取り憑かれているため。もう1つは、それを是とする周囲の環境があるためです。

自身が妄想に取り憑かれているということは、どういうことか。例えば、キモいアニメのメインキャラクターである美少女のコスプレをする人がいるとします(この場合、もちろん女性がコスプレをしている前提です)。

コスプレをするということは、当人にとって、そのキャラクターになりきろうとする精神の働きがありますから、自分の世界に没入していくことになります。つまり、自己暗示をかけるわけです。その暗示によって、多少自分の容姿に自信がなくても、思い込みの力で羞恥心を弾き飛ばします。

また、衣装の力を借り、自分の容姿に下駄を履かせることができるため、それも羞恥心を弾き飛ばす上でプラスに働きます。

さらに、コスプレを披露する場というのは、、大抵カメラ小僧がいるため、写真に撮られたり、また、周囲のコスプレイヤーから可愛い、可愛い(これは周囲が衣装を褒めていることを、当人が自分の容姿を褒められていると誤認している前提です)とおだてられたりもするので、羞恥心どころか、むしろ自己肯定感が芽生えてしまいます。

 

結論として、コスプレをするキモいファンというのは、あまり可愛く(格好良く)ないのに自己暗示の力と、衣装による容姿の補正効果、周囲の環境による自己肯定感の上昇により、自分を可愛い(格好良い)と誤認している人のことです。

 

以上、ファンがキモいということを説明しました。消費型のキモいファンが、美少女キャラがプリントされたTシャツを着て街を練り歩いたり、実践型のキモいファンである、あまり可愛くないのにコスプレをした人が、マスコミに面白がられて、何かの拍子にメディアに登場してしまうことは、自ら広告塔となり、深夜アニメのキモさを宣伝していることに他なりません。

他のキモくない深夜アニメへの影響は推して知るべしです。

 

次回、③声優がキモいについて説明します。

 

(注)

 ※1.2015年のコンテンツ市場における日本のキャラクター物販の売り上げは約400億円

(前出の「経済産業省平成26年知的財産権ワーキング・グループ等侵害対策強化事業 」の図表参考 ドル109円前提)

 

深夜アニメはキモい なぜいつまでも市民権を得られないのか④

俗物太郎です。

 

⒉なぜ深夜アニメはキモいのか?

 

まず最初に結論を言います。なぜ深夜アニメがキモいのか?

それは「一部の深夜アニメと、それを取り巻く特別な環境がファンによって世間へ拡がってしまったため」です。どういうことかをこれから説明していきます。

 

まず始めに前提の確認です。

アニメは放送時間帯により、大きく2種類に分けることができます。

1つはキッズ・ファミリー向けアニメ(全日帯放送)、もう1つが深夜アニメ(深夜帯放送)です。

タイトルにもあるように、今回テーマとしてあげているのは、深夜アニメです。 

 

では以下、深夜アニメがキモい理由を下記3つの観点で、説明したいと思います。

 

①作品がキモい

②ファンがキモい

③声優がキモい

 

上記①〜③の関係としては、まず 作品があり、それを楽しむファンがいて、作品とファンを繋ぐ媒介物として声優がいるということを表しています。これを見方を変えて◯次元という形で表してみると、作品はアニメですから2次元、ファンは人間ですから3次元、そして声優も本当なら3次元ですが、作品とファンの間にいるということで、ここでは2.5次元ということにしたいと思います。

 

①作品がキモい

 

まず最初に、2017年の秋から始まる作品('17年10月スタート)について、僕がいくつの作品キモいと感じたのか示したいと思います。

参考としたのは、アキバ系の情報サイトである「アキバ総研」です。このサイトで、2017年秋スタートの作品として紹介されていたのは53作品ありました。

そのうち、僕がキモいと感じたのは7作品ありました。当然、まだ放送前ですので、あくまでタイトルや紹介の絵を見てキモいかどうかを判断しています。

 

そもそも、キモいというのは主観的な判断なので、なぜキモいか説明は難しいですが、どういう観点で僕がキモいと判断したのかというと、「主要キャラクターが美少女で、かつ性的な要素を感じたかどうか」どうかです。

なかには、絵だけを見ても性的な要素が表現されていない作品も含まれますが、そこは、かつて深夜アニメにハマっていた僕自身のセンサーに基づき、独断で性的な要素がありと判断しました。

 

ちなみに、最近、一部のCMにおいて、視聴者から、性的な内容が含まれているため、放送をやめて欲しいというクレームが入り、放送を取りやめたりする事例がいくつか出てきています(壇蜜が出演している宮城県PR用CMなど)。僕はこういう作品について、まったく問題がないと思っています。

なぜなら、CMというのは、少なくとも広告代理店や制作会社などプロが撮影、編集しており、多少制作者の悪ノリが入っていたとしても、当然その背景には説明できる理由があり、しかるべき人達の判断を経て世に出ているからです。

ただし、こういうCMに対する一部の批判にもそれなりの理屈が存在することは理解できます。誰もが見れる公共の放送で、性的なイメージを想起させる映像は子供の教育上良くないというのは、それなりの説得力があります。

何が言いたいかというと、世間で批判されている一部の性的イメージを想起させるCMに対し、僕は別に良いと思う一方で、深夜アニメについては、同じようには看過することができません。

 

なぜなら、上記事例が実際の役者が演じているのに対し、アニメは創造上の産物だからです。どういうことかというと、実際の人間が演じるものは、物理的制約が付き纏いますが、アニメにはその制限がなく、現実にありえないものも表現できてしまいます。

 

そのため、表現の方向次第では、妄想の産物になってしまいます。何を当たり前のことを言っているんだ、と思われるかもしれませんが、物理的制約がないと、どういうことになるかを説明したいと思います。

深夜アニメ作品において、メインキャラクターが美少女である場合が多いですが、美少女であることは一体どういう意味を持つでしょうか。

一般的に、少女(または少年)をメインキャラクターに置く場合、純粋性、または、今後の成長を描くための記号的な意味があります。

では、少女を妄想の産物としてしまった場合、何が起きるでしょうか。

少女というのは、まず純粋性を持ち、かつ大人に比べて弱い存在です。考えてみましょう。美少女をメインキャラクターにした深夜アニメの場合、作者も含め、創作に関わるメンバーはおそらく男性が多いはずです。

そして、当然のことですが、男性に少女の気持ちがわかるはずがありません(もちろん想像することはできますが、あくまで男性自身のフィルターを通した少女の気持ちになってしまいます)。

すると男性が描く少女はどういう存在になるかというと、先ほど言ったように、少女は純粋で弱い存在ですから、画面の中で男性に都合よく動かされる存在になってしまいます。もっと強い言い方をすると、男性に支配される存在になるということです。そして、妄想をどんどん膨らませ、行くところまで行くと、深夜アニメにおける美少女の行き着く先は、男性の性的玩具になります。

 

ちなみに妄想の世界で美少女を、大人の女性に置き換えた場合どうなるでしょう。男性としては、少女に比べ、人生経験を積んでいる大人の女性は、男性の思い通りにはならない存在です。そうすると、男性側はどういう妄想を抱くかというと、少女の場合と逆に、男性側が大人の女性の性的玩具になってしまいます。

さらに、合わせ技ですが、妄想の世界ではこんなパターンもあります。大人の女性で始めはこちらの思い通りにならないのですが、ある時から立場が逆転し、男性側が大人の女性を支配するというパターンです。少し鼻息が荒くなってしまいましたが、結局、妄想を突き進めて行くと、支配か被支配の関係のどちらかが産まれます。

 

話が脱線してしまいましたが、アニメという表現方法で、美少女をメインキャラクターにするということは、作品の方向性と表現次第で、男性の支配欲を満たす性的玩具にしてしまうということです(ご存知の方もいると思いますが、それは同人誌という2次創作のなかで、当たり前のように表現されています)。

 

つまり、美少女をメインキャラクターにした、一部の深夜アニメの中には、妄想の産物になりえる作品があり、それが「①作品がキモい」という理由です。

 

 次回は「②ファンがキモい」について説明したいと思います。